は濃やかな情感をこめて記述している。「彼は殆ど睡眠をとらなかった。」明方まで仕事をつづけて「少しく運動の必要を感じ、書いた原稿を手にして自分で印刷屋へ足を運び、校正の仕事に携った。それも彼が常に八回乃至十回の校正を必要としたからである。」バルザックは自分の文章に自信がなかったばかりでなく、「彼は最初ただ小説の大体の構図だけを書き、細かい点には、その後で次々に筆を加え」るという我流の仕事ぶりを持っていた。そのためにバルザックの作品の校正は植字工にとって恐ろしい仕事であったばかりでなく、作者自身にとっても驚くべき大仕事であったらしい。「数時間後、炯々たる眼光のずんぐりした男が、着物を乱し、でこぼこ帽子をかぶって印刷屋から出て行った。通行人は一人ならず彼を天才であると察して恭々しく挨拶をした。」毎夕六時になると、有名なトルコ玉のステッキと伊達者ぶりの服装でバルザックは愛人である貴婦人のサロンに現れ、オペラの棧敷に現れ、時には美術骨董店へ立ち現れた。「斯くの如く一日は極めて速かに流れ、この精力的な労働者は僅かの安眠を貪るべく寝床に就くのである。」
 ブランデスは、然し、この記述で計らず自身の道徳律の領域に描写を止めているのは面白いことである。バルザックの一日の内容にはもっともっと他の重大なことがあった。即ちベルニィ夫人やハンスカ夫人のように会わずに暮している過去の、或は未来の、彼が「会わないうちから夢中になっている」愛人たちに向って熱情の溢れるような手紙を書くこと。及び「彼の想像力は無尽蔵に次から次へとその手段を思いつかせた」やり方で押しよせる高利貸を宥め、債権者を納得させ、勘定書をもって来た出入りの商人から却って金を借りる等という困難きわまる芸当。更に出版権にからまる絶え間ない訴訟事件があり、代議士立候補のための、進んでは大臣になるための政見を発表し、しかも時々バルザックは一八二五年の破局にもこりず熱病にかかったように大仕掛の企業欲にとりつかれ、サルジニアの銀鉱採掘事業や、或る地勢を利用して十万のパイナップル栽培計画を立て、新式製紙術の研究にまで奔走したのである。実にバルザックの生活は目もくらむばかりの熱気に顫える一大機関のようであった。彼は真に我々を驚歎させ又沈思させる意志と忍耐力と情熱とで、その生活の波濤をよく持ちこたえ、芸術活動は修飾ない巨大な労働であることを理解し、現実の社会を夥しい小説の中に再現しようとしたのであった。
 一八三一年から終焉の二年前、最後の作となった「現代史の裏面」に至るまでに書かれた大小百余篇の作品の箇々についての穿鑿は、更に適当な研究者の努力に俟たなければなるまい。何故なら、「人間喜劇」の登場人物とそのモデルと、人物再出をしらべるだけでも、バルザックの場合では、普通の作家の全生涯の研究以上の労力を必要とするからである。私共は、ここで少したちの違った一つの仕事に従事したいと思う。或る意企をもって、私達は再び、同時代人によってバルザックに加えられた非難と焦点をなしたこの大作家の雄大な卑俗さと、彼の文章についての難点に立ち戻るのである。

「従妹ベット」を、先ず開こう。これは一八四六年、バルザック四十七歳の成熟期に書かれたものである。
 この小説は「千八百三十八年の七月の半頃」新型馬車「ミロール」に乗って大学通りを走っている、でっぷり太った中背の男の説明から始る。
 初めの三行目から作者は自分の言葉で服装について一部のパリ人の抱いている常識を非難しながら、その男がやっととある玄関の前で馬車を下りると、もう直ぐそこでとびかかるようにパリの門番の本性について説明する。引つづいて読者はひどく精密であるが全く無味乾燥なユロ男爵家の系図の中を引きまわされるのであるが、普通の読者は、その数千字を終り迄辛棒して結局は、最初の行にあった四字「ユロ男爵」だけを全体との進行の関係で記憶にとどめるような結果になる。
 やっと客間のドアが開けられた。我々の目前にユロ男爵夫人、その娘オルタンス、その娘に手をひかれた老嬢ベットが現れる。
 忽ちベットのまわりをぐるぐるまわってその服装の細を穿った説明に絡んだ作者の解釈。客間の古び工合の現実的な観察。その客間で、「昔は杏ジャムやポルトガルの濁酒《どぶろく》を売った小商人」今ではブルジョア化粧品屋でユロ男爵の息子にその一人娘を縁づかせている五十男のクルベルが、安芝居のような身ぶり沢山で、而も婿の生計を支えてやらなくてはならぬ愚痴を並べ、借金の話、娘の持参金についての利子勘定のまくし立てるような計算と全く渾然結合して、道楽な良人のために悲運にある貞潔なユロ男爵夫人に厚顔な求愛をする。
 ユロ男爵夫人の目下の全関心と母としての宗教的な努力は父親の放蕩で持参金も少ない一人娘オルタンスを、身分のつり合った家柄の者と結婚させたいという最後の苦しい願望に集注されているのである。
 クルベルは、夫人をしつこく口説くのであるが、その、あの手この手は悉く男爵家の陥っている経済的困難を中心とする脅威であり、誘惑である。色と慾とに揺がぬ根をはった強い色彩と行動との中にいつしか読者はつり込まれ、
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「若しも私が貴方のために操を破って居りましたら、クルベルさん、それでも貴方はそのようなことを仰言ったでしょうか?」とユロ夫人はクルベルの顔を見詰めながら云った。
「そんなことを云う権利はなかったでしょうね、アドリーヌさん」とこの奇妙な恋人は男爵夫人の言葉を遮りながら頓狂な声を出した。
「私のこころにさえ従っていれば、あなたは私の財布の中からオルタンスさんの持参金を出せますからね……」
 さて、その言葉を証拠立てる積りでもあったのか、脂肪肥りのクルベルは、床に膝をついてユロ夫人の手に接吻した。
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 この活々と緊張して、而も落付き、社会の裏面を露《あば》く惨酷さでは骨髄を抉っている描写は、消えぬ絵となって我々の印象に焼きつけられるのである。同時に、何か漠然とした驚きが引き起こされる。バルザックは、何と普通のような顔つきで、この醜怪と苦痛とを描いているだろう! と。
 読み進んでゆくうちに、読者は到るところで、しっくりはまりこめない凸凹した説明にぶつかったり、そうかと思うと、思わず作者バルザックに対する疑いを喚び覚まされるような大仰な、出来合いの大古典時代めいた形容詞を羅列した文章に足を絡まれる。非常に古代美術愛好家風な、衒学的な、却ってそれが一種の野卑を感じさせる婦人の美の説明が我々を間誤つかせていると思うと、それはいつしか十九世紀のブルジョア勃興期にフランスで、そしてイギリスでも所謂下層階級の出身の美しい娘がどんな道行で没落に瀕したか、或は成り上りの貴族夫人となったかという社会的な過程を熱のある筆でくまなく我々の目前に展開していることを知るのである。
 野蛮人や下層階級の心理について独断的な傾きのつよい作者の説明に対して極めて自然に、そして正当に後代人である我々の心に起る反撥。唐突に持って来て、ギリシャ神話中の名と並べてつかわれている自然科学上の様々な用語が読者に与える寧ろ子供らしい落付かなさ。我々は希望するしないに拘わらず、生粋の放蕩者ユロ男爵を遂に社会のどん底につき落したパリの美人局《つつもたせ》、従妹ベットの共犯者マルヌッフ夫妻の住んでいるぞっとするような湿っぽいルーブルの裏通りへ連れ込まれる。マルヌッフ夫婦の悪行で曇った食事皿の中の隠元豆に引き合わしてしまうまで、バルザックは一旦掴んだ我々の手頸を離さぬ。更に、ポーランドの独立運動に対する妥協のない作者の反感。常にイギリスに反撥して示される民族主義的な誇、「私の政敵は即ちこの政敵です」「ああ王族は血統純美」というような蕪雑な王党的自己陶酔。一層我々に納得されにくい独裁専制政治と宗教についての暴圧的政治論等々、読者は決してすらりとこの一篇の小説を読み終せることは許されない。種々の抵抗にぶつかり、小道へまで引きまわされ、脂のきつい文章の放散する匂いに揉まれ、而もそれらのごたごたした裡から、髣髴と我々の印象に刻された従妹ベットの復讐の恐ろしい情熱、マルヌッフ夫妻、ユロ男爵の底を知らぬ深刻な情慾への没落、カトリック的献身の見本のようなユロ男爵夫人、ジョセファを繞《めぐ》るドゥミモンドの女たちの強い身ぶり暮しかた等は、極めて色彩が濃く、忘れようとしても忘れることは不可能である。すべての人物が着実に現実的に描かれているかといえば、そうではない。金モール内職のベットがマルヌッフのサロンでは、俄然ダイアモンドのような輝きを発揮しはじめたり、奇怪な老婆がいきなり登場したり、ユロ将軍の最後の条などは、明らかに前章に比してなげやりに片づけられている。つき進んで云えば、従妹ベットの心持が、あのような規模と貫徹性とをもって発動し作用し得るかどうかについても一応うたがわれないこともないのである。
 バルザックと同時代の作家であるメリメの作風と比べて、これは又何たる相異であろう。フランス散文の規範のようなメリメは異国趣味でロマンティックな題材と情熱とを、厳しく選択して理性的に配置した文章の鮮明な簡勁な輪廓の中にうちこんでいる。メリメの作品の力と欠点とは整然とした描写の統制の中にある。
 バルザックの文章は、書かれている事件が複雑な歴史に踏みへらされたパリの石敷道にブルジョアの馬車が立ててゆく埃を浴びているばかりでなく、文章そのものが、まるで、一見無駄なものや、逸脱したり、曖昧であったりする様々な錯綜したものを引くるんで我々の日常に関係して来る社会生活そのもののような性質を帯びている。バルザックの小説において、読者はユーゴオの作品に対した場合のように、主要人物の動きにひきまわされるばかりではすまない。もう一つ、文章そのものに感情を刺戟されたり、思考を誘い出されて観察を目醒まされたり、と揉まれるのである。そして、我々は時に退屈したり、腹を立てて、バルザックを軽蔑したり、つまり自身の内から情感を生き生きと掻き立てられて、結局全篇を貫く熱気に支配されるのである。
 バルザックの文章の渾沌的情熱の模倣は不可能である。真似したとすれば、彼の文章の調子の最も消極的であるところだけが瑣末的な精密さや、議論癖、大袈裟な形容詞、独り合点などだけが、大きいボロのような重さで模倣者の文章にのしかかり、饐《す》えた悪臭を発するに過ぎないであろう。
 バルザックの文体を含味する余裕、その諸要素を理解し分析する力の積極性においては、同時代人の中でも、後に自然主義文学に基礎を与えたテエヌが流石《さすが》に立ちまさった見解を示している。サント・ブウヴは、バルザックが「従妹ベット」の中のパンセラスに関しての芸術論で「客間《サロン》で大成功をして、大勢の芸術愛好家に相談をされて、批評家になってしまった[#「批評家になってしまった」に傍点]。」云々ということを書いたのにひどく拘泥して、バルザックの死に際して書いた文章の中にわざわざ今日の我々から見ると意味ふかい数行を書き加え、バルザックは批評を無視したことを言っている。サント・ブウヴはその感情的基礎に我れ知らず作用されて、バルザックに対してはどちらかというと批評家としての自身の才能を活かしていない、言いかえれば出し惜しみをしているのであるが、バルザックの文体を「彼の文章の中には生き生きとはしているが、不十分で、勝手気儘で、しっかりと決っていない表現が沢山にある。それは、表現しようと企てて[#「企てて」に傍点]いるもので、何処まで行ってもそうである。彼の印刷屋はこのことをよく知っていた。」「彼にとっては鋳形そのものが常に煮えくり返っていたのであるから、金属の形の決りようがなかった。」と評しているのである。
 バルザックの文体の不確実であるという意見では、テエヌも決してサント・ブウヴと反対の側に立っていない。彼も、サント・ブウヴと同じようにフランス文学の古典の中に教養をうけて来た人にバルザックの作品を読ませたら、どんなに彼等は
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