きゆく基本的な動力に対しては、盲目に等しかった。彼は、社会の「複性は同一の実体(彼はここに金を置いた)の諸形態である」と考え、又当時既にブルジョアジーにとって脅威であった民衆の擡頭は、ブルジョアジーが貴族に対して擡頭したのと同じこと、否、貴族に代って権力を把り、貴族の行った総ての悪行を更に小型に没趣味に多数に再生産したブルジョアの醜行非道を、一層卑穢に而も下層階級の夥しい人口の数だけ増大させるに過ぎない恐るべき「近代野蛮人の貪婪」であると理解した。バルザックはパリの階級勢力の移動と栄枯盛衰がその間に激しく行われた七月、二月の政変をも経験したのであったが、彼は社会的変革も要するに金をめぐってもがく人間の流血的な循環運動にすぎぬと、観たのであった。
それにつけて私共の思い出すのは、バルザックがシボの女房を描いた、その描きぶりの特徴である。バルザックは、シボの神さんがポンスの財産をせしめようという慾に目醒めた、その途端に、彼女の平凡な市民的親切心が全く質的に一変した有様を、読者の日常心を刺すような鋭さで描破している。私共は、そこに可怖《こわ》い程なリアリストとして心理のモメントを捕えている
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