作家バルザックの慧眼を感じるのであるが、さて、一旦慾にかかって腹をきめてからのシボの神さんの描写はどうであろうか? 私共は慾の女鬼として一貫性はありながら、何だか本当にされぬシボの神さんの現実性を感じる。慾の一典型ではあろうが架空的な誇張や一面的な強調を描写の中に感じ、そこに至ってはバルザックがロマンチストであったことを却って思い返す心持になって来るのである。
この現実の描写にあらわれて来ている理解の食い違いこそ、バルザックが受け身にだけ、而も具体的内容では必然的に違うそれぞれの階級の歴史性を抹殺して、金に支配される点だけを観念化して同一視した彼の世界観を、私共に説明するものなのである。
バルザックはプロレタリアートが次の社会の担い手であることを当時の現実から承認せざるを得なかったのであるが、彼はそれを、「循環する自然の現象」の一つと見て、その意味で避け難いものとした。社会関係で人間の悪徳、美徳は変ると一方に理解しつつ、バルザックは次代の担い手「現代の野蛮人」は、変化された社会関係の具体的現実によってどのように高められ得るかという、発展の可能性は見出し得なかった。だから、彼は飽くま
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