ったというところで、自身納得しようとしたらしい。反感を含んだ批評家は、バルザックが手紙の中でも自分のことしか書かぬ程自我的であったこと、情熱の制御を知らなかったこと等を部分的にとりあげて、一種病的な偏執狂的傾向があったと言っている。そのような批評家は同じ考えを作品にまで敷衍して、バルザックの描く主だった人物を見よ、ゴリオにしろ、ベットにしろ、皆その人生を慾望の偏執によって貫く異常人ではないかと強調するのである。
猶我々の興味をひくことは、同時代の作家たちの間において、バルザックは果してどのような位置を占めていたであろうかという点である。彼は、卓抜な芸術上の同時代人たちとの友愛をたのしみ得た作家であったのだろうか? 尊敬され、或は畏怖される文学上の同輩であったろうか。
私共はここにおいて実に興味ある一つの現実に遭遇する。それは、バルザックが一八三〇年代からフランス文学に咲き乱れていた絢爛たるロマンチシズム文学の只中にあって、全く一人の例外者、ユーゴオなどに云わせると、文体もきまらない才能のない野人として、寧ろ除け者のようなとり扱いを受けていたことである。
知られているとおり、フランスのロマンチスト達は、人類の大きい理想をめざして闘われた筈の大革命が、ブルジョア階級の擡頭によって、成上り者の専断、金銭万能の社会となった現実の「若き失望のカリカチュア」に反撥して、芸術運動の中に、ブルジョア共によって壊たれた自由、平等、友愛の焔を守ろうとした人々である。「ゴオチェの美しい言葉をかりて云えば」「焔の如く燃える人々」が、「灰色がかった人」の没趣味で、俗悪で、生気ない金銭支配への屈伏に反逆したのであった。
これらの人々は、ゲェテ、ホフマン、バイロンやスコット等の作品からも強く影響され、当時の社会の現実生活ではブルジョア共によって軽蔑され、価値を認められない存在であった未開人、民衆、子供や女や詩人というものの美と善とをも、「ありのままの自然」の姿においてその地方色の鮮やかさにおいて、または歴史的精美さにおいて力強く各自の芸術の中に活かそうと努力した。例えばメリメは「コロンバ」や「カルメン」において。ゴオチェは華美なアントニーとクレオパトラのロマンスの描写において。デュマはその歴史小説において。
金くさい卑俗な利害のために日夜|鎬《しのぎ》を削るブルジョア共の社会生活に反抗するこれらのロマンチスト作家たちが互に「焔の如く燃ゆる人々」として結合し合い、互の独創性を尊敬し、創作をたすけあい刺戟しあったばかりでなく、この時代は、フランス芸術の歴史にとって謂わば「ルネッサンスの運動にも似たような運動が人々の心を捉えてしまった」特別な一時代であった。作家は作家同士、意気投合して結ばれ合ったばかりではなかった。文学と音楽、音楽と絵画と、それぞれの姉妹芸術は、これまでにない深い心酔で互を評価し影響しあった。音楽家のベルリオーズは「チャイルド・ハロルド」や「ファウスト」を主題として交響楽を創り、ドラクロアのアトリエではユーゴオの小唄が口誦まれた。そして、ユーゴオ、ゴオチェ、メリメのような作家たちは、創作の間に絵を描いた。実に彼等は「すべての芸術において美しい色彩や情熱や文体を」ねらったのであった。(サン・シモンやフーリエの空想的なユートピア社会主義の思想がこのような雰囲気に培かわれ、ユーゴオ、ジョルジュ・サンドの作品その他に反映した。)
けれども、ユーゴオを先頭とするこの時代の光彩陸離たるロマンチシズムの作家たちにもう一歩近づき、仔細に眺めると、そこには微妙な形でバルザックにも関係する或る矛盾が発見される。ブランデスは既に彼の卓越した十九世紀文学の研究において、当時のロマンチスト達が、自然を謳歌したことは事実であったが、「彼等の愛する自然はロマンチックな自然であった」ことを洞察している。彼等が「没趣味なもの、俗悪なもの、平俗なものとして斥けたものも、質朴な自然そのものに外ならないことが余りにも屡々であったのである。」
バルザックが、彼の作品でとりあげたのは正にそのロマンチストたちにとって俗悪・低劣とされたところの金銭及び金銭に絡む大小俗人の、こまごまとして塵のひどい日々夜々、そのベッドにまで這い上って来る悲喜劇であった。ロマンチスト達が自らを高く持して、それから一刻も遠のくためには古代ギリシャの美術品の鑑賞へ熱中するばかりか、美を求めて遠くアフリカへまで旅立つことを辞さない間に、バルザックは金儲け、立身出世、瞞し合いのブルジョア社会の現実へ突ささって而もそれをやはりロマンチシズムの時代は争われぬきつい色どりで彼流に描写しているのである。
二十代のバルザックがまだ偽名であやしげな小遣いとりの小説を書いていた頃から彼を知っているサント・ブウヴなども
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング