ンゲルスの手紙からの上記の引用を基礎として、エンゲルスは、「バルザックのリアリズムは革命的であると見ているのである」とやつぎ早に結論しているのは、理解に或る困難を引おこされる。ゾラのバルザック論その他に対し、芸術創作の過程における意識下的なものの力を過大視する評価のしかたに賛成を表さぬシルレルの態度は十分うなずけるが、その点を押し出そうとして、無条件に、バルザックが現実観察に際しては「分析的な、研究的な態度をもってその社会的現実の種々相を広汎に描いてい」るとだけ言い、しかも「デテールの真実さのほかに、『典型的な性格と典型的な情勢との表現の正確さ』がある」、正にエンゲルスが「人間は彼が何を[#「何を」に傍点]しているかということだけで特徴づけられたのではない。更に彼がそれを如何に[#「如何に」に傍点]なしているかということが大切なのだ」とラッサールへの手紙の中で言っている要求した通りにバルザックは主人公を書いたとだけ強調しているシルレルの言葉は、バルザックに対するエンゲルスの理解の正しさを裏うちしようとするあまり、却ってエンゲルスの批判にふくまれている複雑性をおおい、同時にバルザックの複雑な現実をも単純に片づける結果となっている。窮局において、バルザックは「いかなる場合にも全体としてはブルジョア・イデオローグであり、ブルジョア芸術家であった。」フランスの古い商業ブルジョアジーの社会観の支持者であったことをシルレルも認めているのであるから。
シルレルのエンゲルスの言葉に対する理解は稍々《やや》皮相的に表現されていると感じられる点は次のような部分にも認められる。例えばバルザックの作品の現実について読み、観察をした者は、単にバルザックの主人公が何を[#「何を」に傍点]、如何に[#「如何に」に傍点]したかを理解するだけでなく、当然のこととして作者バルザックはその一篇の小説の主人公とその環境の描写を通して、何を如何に言わんとしているか[#「何を如何に言わんとしているか」に傍点]ということに迄触れて含味せざるを得ない。作品の実際では、何を[#「何を」に傍点]、如何に[#「如何に」に傍点]ということが二重になって切りはなせぬ相互関係において生きて来る。作品の具体的な場合について見ると、屡々この二重の何を如何に[#「何を如何に」に傍点]の間に或る矛盾がひき起されていて、或る作者の真
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