であった。大抵の才能ならば、その白熱と混沌との中で萎えてしまいそうなところを、踏みこたえ、掌握し、ときほぐし、描写しとおしたところに、この巨大で強壮な精神の価値がある。文学史上の一つの定説となっているバルザックの情熱の追求、――悪徳も亦情熱の権化として偉大なものたり得る――ことを描いたのも、人間と人間との間のエネルギーの最大の集中の形として、関係の中におかれたのであった。
 そのように、バルザックは飽くまで、関係を描く作家であったから、発端した関係をどこまでも進展させ、発展させるためには、作中の人物たちの性格を、発端において登場したままの本質で一貫させなければならなかった。
 リュシアンはどこまでもリュシアンでなくてはならず、ダヴィドはどこまでもダヴィドでなくてはならなかった。そういう人間の性格の確定の図どりの上に、はじめて、諸関係は益々紛糾し得るのであるし利害は益々錯雑し、近代そのものの複雑を示して展開する可能をもったのである。
 ディケンズはクリスマス・カロールの中で、主人公をクリスマスの晩に転心させ、俄《にわか》に慈悲の心にめざめさせた。それ故あの小説はそこで終らざるを得なかった
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