かれた屋根屋根の起伏の美しき眺望のように見るものの心にうつるたしかさをもっている。が、生活の中からせり出して来る生々しい建造物の規模はもっていない。
散文家として比較すれば、鴎外の方が漱石より雄勁である。漱石のよわさは、しかし彼の稟性の低さに由来するものではない。既に自然主義にはおさまれず、さりとて自身の伝統によって内田魯庵の唱導したような文学の方向にも向えず、新しい方向に向いつつ顫動していた敏感な精神の姿である。芥川の散文は教養のよせ木であり脆さが痛々しいばかりである。
最近十年間に登場した作家の多くが、散文から全く逸脱して小径を歩いているのも窮極は、精神の不如意と苦悩とによっている。故に壮健な散文家となる希望も、その苦悩そのものの火にしかないわけである。そしてこの苦悩の重圧は、人々をひしぐか鍛えるか二つに一つしか返事を出さない。
ツワイクがドストイェフスキー論の中に言っているとおり、
「ワイルドがその中で鉱滓となってしまった熱の中でドストイェフスキーは輝く硬度宝石に形づくられた。」
巨人の檻
バルザックは、徹底的に、雄渾に、執拗に人間生活の関係を描く作家
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