がどうしてレールを腐らしているのだろう?
ドミトロフ君のその時の答えは、今日も猶つよく私の心にのこっている。この二条のレールの走る地点こそ、ゴルロフカすべての労働者にとって忘られぬ記念の場所なのであった。一九一八年の国内戦のとき白軍が装甲列車をころがしてドン・バスを占領しようと攻撃して来た。ゴルロフカの革命的労働者は社会主義社会建設のためにこの豊富な炭坑区がどんなに大切な意味をもつものであるかということをはっきり知り命をもって守る決意をした。ここから三四|哩《マイル》先の地点にかけて最後の激戦が行われ、百七十余人の前衛労働者の血が流された。そして遂に白軍を炭坑区から追い払った勝利を記念するレールなのであった。
夜の原っぱを横切って、あっちからも、こっちからも三々五々男女の労働者がやって来る。彼方には夜目に白く堂々と巨大な丸天井をもった建物が浮び上っている。「労働宮」へ遊びや勉強にゆく労働者たちだ。
白い石の正面大階段を登ると、どっしりした鉄の扉の片翼が開いている。入ったところはやはり白い滑らかな石をしきつめた大広間だ。天井から新式な大電燈が煌々と輝いて、今あんな原っぱの夜道を通って来たということが信じられぬような印象を与える。小ざっぱりした平常着姿で本をもったりギターをもったりしている男女労働者に交って廊下へ出ると、つき当りは大舞台の入口だ。
「――今日は生憎何もやっていませんが……」ゴルロフカの労働者とその家族が無料で見物するために映画や芝居、音楽会、講演会などがこの大舞台で行われるのだ。薄暗い内部を見わしたところ、二階まで坐席があってなかなか大きい。モスクワに鉄道従業員組合クラブがあり、そこの舞台は数多いソヴェト同盟の労働者クラブの中でも立派なものとされているが、そこより多数入れそうだ。私はぐるりと見まわしながら、
「何人ぐらい入れるのでしょう」
ときいた。
「六百人はゆっくりです」
ドミトロフ君も満足そうに自分達労働者の力で建てた舞台を眺めていたが、やがてつけ加えて云った。
「この舞台は実に役に立ちますよ。われわれはここで映画や芝居を観てたのしむばかりではない。ソヴェト選挙もここでやるし、新経済年度の真面目な討論会も各坑の代表が集ってここでやる。楽しみの場所であり、真剣な仕事場でもある。――つまりわれわれの建設の両面がここにあるわけですね」
もう半月ばかりすると、この演劇サークル上演の芝居が見られるのだそうだ。ドイツの新式な電気照明装置が舞台についている。
元の廊下をゆくと、右や左にいくつもの室が並んでいる。真先に目につくのは「レーニン主義共産青年同盟」「地区委員会(赤色労働組合)」「全同盟共産党・ボルシェビキ」とそれぞれ高く入口に札をかかげた部屋部屋だ。その先に図書室がつづいている。ドミトロフ君が静にドアをあけたところから内部を見ると、中央の大テーブルをかこんでいろいろの雑誌を数人の男女が熱心に見ている。テーブルの程よいところに眼の衛生を重んじた緑色のカサの卓上電燈が配置されてある。別に独立した小テーブルがいくつかあって、そこではわきに手帖をひろげ、何か専門的な書籍で勉強している人々がある。レーニンの石膏像がこの落着いて知識を吸い込んでいるソヴェト同盟の労働者の姿を見下している。
二十人ばかりの音楽サークルでは男女混声合唱の稽古最中だ。さっき入口で会ったギターをかかえた若い男が指導者で、
「ホラ、そこをもっと強く! つよく、早く、愉快に!」
とやっている。若々しく楽しい歌声はドアをしめても廊下へあふれてきこえる。その歌声をききながら、向い合いの室では「新聞」編輯だ。一人がルバーシカの襟をひらいて一生懸命モスクワ発行の『プラウダ』から何か論説をやさしく大衆向きに書き直している。鋏で切抜きをやっている若者がある。漫画の切抜きを集めたのを調べているのもある。
諸君はこれまでもソヴェト同盟の労働者、農民、勤人、赤軍兵士すべてが、自分たちの工場、農場または職場の新聞を発行しているという話をきいたことがあるだろう。工場新聞は大抵印刷で大版四頁、六頁という本式のものだ。工場新聞では『プラウダ』をはじめ、労働組合の機関新聞などがソヴェト同盟全体の建設問題としてとりあつかう政治、経済、文化すべての問題を、自分らの工場ではそれがどんな風に扱われているか、実際の状態はどうか、どんな労働者大衆のイニシアチーブがあるかという点などを書く。自己批判もある。大衆的投書もある。文学サークルの連中の詩や小説ものる。
職場の新聞は、印刷の工場新聞をもっている工場でも各職場職場が手書きの壁新聞の型で発行している。五時間毎にかわる。これは、ほんとに職場の新聞で、職場の日常的なあらゆる感想、自己批判を、洒落ででも、滑稽な色紙の切抜きをはりつけ
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