の工場とはどういうものか、そこで労働者はどんなに生活しているかということを見た。成程、人間は社会の仕組みによってはこうも暮せるのだということが分った。日本はブルジョア国だから工場もひどいが、炭坑は話のほかです。危険の中で獣のように搾られている。ソヴェト同盟の炭坑の労働者の生活はどんなか、それが見たかったのです」と云った。すると、
主任は、
「それは結構だ! すっかり見て下さい。ドミトロフ君、君このひとを案内してあげてくれ給え」
そう云ったが、急に私の方を振りかえり、
「ああ君、坑内へ入りますか?」
と云った。
「よかったら入れて下さい」
念のために断っておくがソヴェト同盟では、婦人の地下労働は一切禁じている。ドン・バスに何千と婦人労働者がいるがそれは選炭その他みんな地面の上での仕事をやっているのだ。
私は同志ドミトロフにつれられて、先ず大仕掛の動力室発電所へ入って行った。坑内の換気のため、エレベーターやトロを動すために、動力室では五人の熟練工が絶えず働いているが、感服したのはその安全装置である。唸って震えている、巨大なモーターの周囲は油さしやその他にごく必要な部分だけを露出して強い金網で覆ってある。調帯も、万一はずれた時下で働いている者に怪我させそうな場所は鉄板の覆いがかかっている。
更衣所で、男の着る作業服に着かえ、足先を麻の布でくるんで膝までの長靴をはいた。すっぽり作業帽をかぶって待っていると、自分も作業服にかえてドミトロフ君がやって来た。そして、
「ホホー」
と思わず笑い出した。私も笑った。というのは私は日本の女の中でも体が小さく丸く五尺に足りない。それがソヴェト同盟の大きい男の作業服を着たのだから、手先はだぶだぶだし、靴はぶかぶかだし、子供の化物のような恰好なのだ。
「工合がわるくないですか?」
ドミトロフ君は心配気だ。
「平気です。出かけましょうか」
「配燈室」へ入って行くと、丁度今交代で坑内へ下りようとする多勢の労働者が順々に安全燈をとりに来ている。我々一行もその列に並んで窓口から掛の婦人労働者に電気安全燈を貰った。
「配燈室」の入口の廊下から、みんなが列をつくっている場所の壁まで、うまく注意をひきつけるように傷害予防のポスターが貼りまわされている。
「注意! 注意! 命をすてるな」坑内へすてたタバコの吸殼からガス爆発をする絵が描いてある。
「注意! 同志たちよ、機械の力を理解して!」電気トロに油断すると、やっぱり命を失うぞ。不具になるぞと絵で示してある。安全燈をうけとる間に、毎日のことながら新しい注意をよび起すようにしてあるのだ。
「注意! アルコールはわれわれの敵だ!」酔って坑内へ下りようとし、エレベーターに挾まれて死ぬな。なかなか真に迫った絵が描かれている。
「注意! 骨を惜しむな!」小さい支柱の故障だと云って放って置くな。落盤はいつ起って君らを圧死さすかもしれぬ。
ソヴェト同盟の炭坑では労働者がどんなに作業の危険を防ごうと互に注意しあっているかがありありと感じられた。このポスターを見ただけでも、会社が搾るために労働者をシキに追い込む炭坑と、労働者が自分らのために働いている炭坑との根本的な相違が現れている。(こういうみなのためになるポスターなどはソヴェトのプロレタリア美術家同盟の画家たちが描いているのだ)
同じような注意は地下数百米の坑内にも及んでいる。見張所は応急救援所をかねている。
二時間ばかり泥水と炭塵にまびれて上って来ると、ドミトロフ君は私を風呂へ案内した。よそから来たものだけを入れる体裁の風呂ではない。みんな一日七時間――八時間の労働をすますと、風呂で体を洗って家へ帰るように設備が出来ているのだ。
「訪問者の家」はすっかり家族的なやりかたである。寝室が別なだけで食事でもお茶でも来合わせている者が食堂へ集って談笑しながら賑やかにたべる。夕飯のときは、ソヴェト同盟における炭坑の経済状態研究のためにレーニングラードから来ている学者が面白い話をして皆をよろこばせた。学者と云っても、書斎にだけこびりついて青ざめている学者ではない。彼は十月革命の当時、レーニングラードの鋳鉄工場にバリケードを築き銃を執ってプロレタリア解放のために闘い、後赤軍にいたことのある闘士である。
夕方七時頃、われわれは再び「訪問者の家」を出かけた。秋のことだから、四辺《あたり》はすっかり暗い。黄葉した樹の葉と枯れ始めた草の匂いがガス燈に照らされた道に漂っている道が原っぱのようなところにひらけた。先に立って歩いていたドミトロフ君が、
「鉄道線路があるから、つまずかないように!」と注意した。暫く行くと草に埋もれて、複線のレールが古びている。これは又何故か? 私は不思議に思った。すべてのものを役に立てるソヴェト同盟の労働者
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