のが存在し、人種間の偏見が少しでものこされている限り、オセロの悲劇のファクターは、人間社会から消えていないということにもなる。
それにしてもデスデモーナは、愛のあかしとしておくられたハンカチーフは、つまるところ一枚のもの[#「もの」に傍点]であるハンカチーフにすぎないのだということを、どうして見ぬかなかっただろう。
シェクスピアの描いた女性のなかには、堂々たる婦人裁判官ポーシャばかりでなく、おそろしいマクベス夫人ばかりでなく、なかなかぬけめない、機略にとんだ女がいくたりもある。しかし、それは大体、おかみさん、または娘という環境で、デスデモーナのような貴族の姫ではないのが多い。「ロミオとジュリエット」で、ジュリエット姫は、どんなに哀憐にロミオ! ロミオ! とよび、夜の露台で有名な独白を月、星、夜鶯にかけて訴えたろう。しかし、ジュリエットが現実に出来たことは死ぬことしかなかった。デスデモーナが、まばゆいほど白くて美しい額の奥に、オセロを出しぬくだけの生一本な正直さもしんのつよい情熱ももたなかったお姫様気質を、シェクスピアは描き出そうとしたのだろうか。ハンカチーフは失われた。けれどもハン
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