ディフォーメイションへの疑問
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四七年六月〕
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この一年あまりの間に日本の文化がどんなに新しく、そしてゆたかになったかということについては、いろいろの複雑な問題がある。文学は字であらわされる芸術であるし、字というものは生活の言葉であるから、私たちの生活の実感というものと照しあわせてそれを理解し判断する手がかりがある。つまり素人でも文学は批評できるし、その批評は批評として成りたつ。文学が特殊な人々の愛玩物ではなくて、私たちすべての生活人の社会生活のいきさつと、心持とそこからの発展を意味するものであればある程、社会人としての文学上の素人の意見は文学に大きい評価の価値を占めてくるものである。
おなじ文化でも音楽のことになると、音楽の特別な性質――感覚的な音というもので表現される芸術として訴える力は大きいが文学のような大衆からの素人批評が音楽そのものを発展させ新しくさせる力に乏しい。文学よりも音楽は技術が特殊で、それは素人と玄人との差別をあんまりきっち
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