自我の分裂した未解決の人間である限りにおいてのみ主人公として芸術化される価値をもつ。

     バルザックの人物との対比

 バルザックの人物は 要素であり、要素的なもののあらゆる本質的な特徴を有し、従って、倫理的なものと心理的なものとの反応の典型的な形式である。(これはよく見られている、そして、私たちの時代の人間がバルザックのきらいな一つの理由はここにもある、近代人は、バルザックの描く形式において倫理と心理との単純な反応に固定しきらないのであるから。ポンス ゴリオ その他 バルザックのメロドラマ性、非リアリティー)
○彼らは殆ど人間ではなく、むしろ人間化された特質、一つの情熱の精密機械である、p.172
バルザックにあっては 人物の名に相関概念としての特質をかける。すなわちラスティニィアクは吝嗇に ゴリオは犠牲に、ヴォートランは無政府に。
 食うか、くわれるか=バルザック[#「バルザック」に「ドイツには手段」の注記]には金、権力、称号が目的、
    ‖
   フランス
○ドイツ  の全作品の主人公のタイプ 天才のタイプ
 発展小説 修業時代よりマイスターへ

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 ドストイェフスキーの人物が現実の生活と全く関係がない ということにはこの作家の性格以上の理由があるのだ。根はふかい。
 アンドレーエフのシムボリズム アナテマ
 ロシア文学における宇宙的力や生存感 自我と生
 この渾沌からロマンティックに羽ばたいて出たゴーリキイ、
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○十九世紀の世界文学は自我の問題の文学であるが、その中におけるロシア文学とドストイェフスキーの自我の課題=トルストイその他の問題、
 グレコの絵との連想[#「グレコの絵との連想」に枠囲み]
○我苦しむ。ゆえに我あり p.188
 そしてこの「我あり」こそドストイェフスキーと彼の人物においては生の最高の凱歌である。
○自己誕生の神秘 p.190
○ドストイェフスキーの芸術は常に中心点を狙い、従って心理学における人間中の人間、つまりあらゆる文化の階層の背後に遠く横わっている絶対的で抽象的な、人間を狙っていることを忘れてはならない。p.191
○彼らは自己を知らぬが故に 尠くとも己を証明しようと試るのである。
○彼らは自己の何ものなるかを悟ろうとし、それ故に限界を求める、自我の最極点を、何よりも
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