るのである。
しかしながら、ヨーロッパに於ける新しい社会運動の動力であったロシアを何かの形で世界に紹介したという点から見ても、ツルゲーネフは、当時オストロフスキー、トルストイ、ドストイェフスキー、ゴンチャロフ、ニェクラーソフなどと共にロシア文学史上の「七星」の一人と数えられただけの特色を持っており、規模も小さからぬ作家であったことは認めなければならない。
初めて、ツルゲーネフが「猟人日記」を当時ロシアの進歩的雑誌であった『現代人』に発表したのは二十九歳の年であったらしい。大体、ツルゲーネフの少年・青年時代を生活したロシアの四〇年代は、ロシア解放運動史の上ではまことに意味深い黎明期であった。先ずツルゲーネフが七歳の一八二五年に有名な十二月党《デカブリスト》の叛乱があった。この少壮貴族・将校を中心とする叛乱の計画は一貴族の卑劣な裏切りによって悲劇的失敗をとげ、その後一時沈滞した解放運動は、四〇年代になるとモスクワ大学の研究会となって、再び若々しく甦って来た。ゲルツェン会とスタンケウィッチ会とがそれであった。ツルゲーネフは、はじめてモスクワ大学で勉強し、後、ペテルブルグ大学にうつり、ゲル
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