ことにした。アーク燈のすぐ下にベンチが空いている。そこへ腰かけた。一服しようとポケットをさぐったら、あわくって飛び出して来たんで、生憎《あいにく》、煙草もマッチもない。
 信吉は内ポケットからさっきの紙をとり出し、踏んばった両膝へ肱をつき、パンとひろげて眺めたが――。
 我知らずロシア人のするように肩をすくめ、信吉は悲しそうに紙をもったなり両腕を拡げた。
 いけねえ。……字を知らねえじゃいけねえ。
 しっとり黒い夜の梢の下で白い紙は、寒そうにアーク燈の光を浴びた。

        四

 ビショビショ雨降りだ。
 モスクワの雨樋はちょっとよそのとかわってる。一番下の、雨水を吐くところがまるで大ラッパの口みたいに、いきなり人道へ向ってあいている。だから、ウッカリその傍なんか歩くと、グワワワワワと、四階五階のてっぺんから溢れて来る雨水で容赦なく足をぬらされる。
 信吉は、現にズボンの裾を濡らしてる。靴も幾分ジクついてるのだが、そんなことには気をとめず、熱心に四辺《あたり》の様子を見まわしていた。
 へえ……ソヴェトの人民裁判所ってのは、こういうもんなのか。
 第一、裁判所と云ったって、普
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