中にはそんなに手にとるように現れてはいねえ。やっぱり社会の段々というものは目に見えるところにあって、信吉はモスクワで、自分がそのてっぺんにいる身分だとは思えないんだ。……
 トントン、パタパタ、
 トン、パタパタ。
 呑気《のんき》にかまえてた靴磨きのチビ連が、俄に台をひっさらって、鉄柵の前からとび退《の》いた。
 どいた! どいた! 水撒きだ。
 長靴ばきの道路人夫が、木の輪のついた長いゴムホースを、角の反宗教書籍出版所の壁についてる水道栓から引っぱって、ザアザア歩道を洗いだした。
 絶え間ない通行人はおとなしく車道へあふれて通った。
 四つ角で、巡査が赤く塗った一尺五寸ばかりの棒を、
 トマレ! ススメ!
 鼻の先へ上げたり、下したりして交通整理をやってる。遠くの板囲から起重機の先が晴れた空へつん出ていた。タタタタタタ、鋲打ちの響がする。
 仲間の一人が屑煉瓦の中から往来へ電気時計を見に行った。
「――おう、子供等茶の時刻だゾ」
 信吉は、ゆっくり伸びをしながら立ち上り、帆布手袋をぬいで鎚といっしょにそれを砕いた煉瓦の間へ隠した。――どれ、一時まじゃあ休み、と。――

      
前へ 次へ
全116ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング