中にはそんなに手にとるように現れてはいねえ。やっぱり社会の段々というものは目に見えるところにあって、信吉はモスクワで、自分がそのてっぺんにいる身分だとは思えないんだ。……
トントン、パタパタ、
トン、パタパタ。
呑気《のんき》にかまえてた靴磨きのチビ連が、俄に台をひっさらって、鉄柵の前からとび退《の》いた。
どいた! どいた! 水撒きだ。
長靴ばきの道路人夫が、木の輪のついた長いゴムホースを、角の反宗教書籍出版所の壁についてる水道栓から引っぱって、ザアザア歩道を洗いだした。
絶え間ない通行人はおとなしく車道へあふれて通った。
四つ角で、巡査が赤く塗った一尺五寸ばかりの棒を、
トマレ! ススメ!
鼻の先へ上げたり、下したりして交通整理をやってる。遠くの板囲から起重機の先が晴れた空へつん出ていた。タタタタタタ、鋲打ちの響がする。
仲間の一人が屑煉瓦の中から往来へ電気時計を見に行った。
「――おう、子供等茶の時刻だゾ」
信吉は、ゆっくり伸びをしながら立ち上り、帆布手袋をぬいで鎚といっしょにそれを砕いた煉瓦の間へ隠した。――どれ、一時まじゃあ休み、と。――
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