だ。
 話しながらブラリ、ブラリこっちへやって来ていた二人の日本人は、その声でヒョイと顔を向けた。そして、立ちどまった。
「何です?」
 年とった方が奇麗に剃った顎をあげて、上気《のぼ》せた穢い顔をしている信吉の方を見た。
「――朝鮮人だよ!」
「へえ……」
 そのまんま、またブラリブラリ……。
 ムラムラっとして信吉は、息が早くなった。どいてくれ! 近くの一人へ体あたりにぶつかった。何だと思ってやがるんだ。どけったら!
「国家保安部《ゲーペーウー》はいないのか」
 ピーッ。誰かが口笛を鳴らした。信吉の、若々しい生毛のある唇からは血の気が引いている。やけくそに、もう一遍つっかかって行こうとしたとき、
「どしたんだ?」
 おお。日本語だ! 新しくもない鳥打をかぶって、縁無眼鏡をかけた男が直ぐ、達者なロシア語で牛乳売の娘に何か云った。それから信吉に、
「君、いくら払ったんだ?」
「五十カペイキだ」
「この女は、一ルーブリ五十カペイキと云ったって云ってるんだ」
 二人の問答がはじまると、群集は和《やわら》いでガヤつきだした。
「この女の足へ、湯ぶっかけて逃げようとしたって、そうか?」
「冗談
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