ソヴェト経済の社会化に結びついたプロレタリアート大衆の問題だ――」
 が、そこまで云うと急にヤーシャはピタリと口を噤《つぐ》み、顔つきをかえた。真面目な声になって相談するように云った。
「だが――何故『鋤』工場でも、食糧配給監督の突撃隊をこしらえちゃいけないんだ?」
「ヤーシャ! いいこと思いついた! ほんとに、何故われわれんとこで、食糧配給監督をやることに思いつかなかったんだろう!」
 キラキラ輝く顔になって、オーリャが手を叩いた。
「ヤーシャ! いいわ。ステキだよ、やろう! え? やろう! どう? みんな?」
「ふむ」
 ノーソフが、ゆっくり頭を掻きながら満足げに呻った。
「こりゃ、プロレタリアートの自発性だ」
「そうだとも! われわれは積極的にやらなくっちゃ。直ぐみんなにこのこと話そう!」
「待ちな」
 ヤーシャが、半袖シャツからつき出ているガン丈な腕を曲げて金網をかぶせた時計を見た。
「これからじゃ間に合わない。帰りにしよう。所持品棚のところへはどうせみんな来るんだ」
「そいでさ、交代の連中だって一緒に聞くもん、なおいいや」
 勢づいたアーニャが信吉の髪の毛をひっぱった。
「こんなに真黒な毛生やしてても、為になることも覚えてるんだね」
「俺ら直ぐアジプロ部へ行って来る」
 ヤーシャは、はじめ歩いていたが見ているうちにだんだん大股になり、とうとう駆け出した。駆けて作業場の建物の角を事務所の方へ曲った。

        三

 コムソモーレツ、ヤーシャが大きな紙に赤インキで書いたビラを両手でもってやって来た。仕事場の横の、生産予定表だの、小さい壁新聞だのの張ってある壁にそいつを貼ろうとしてのび上った。
 一人じゃうまく行かない。
 それと見て、オーリャが手鑢にかけてた締金を放り出し、可愛く紐の結び目のおったった紺の上被りの端で手を拭いて、貼るのを手伝ってやった。
 モーターは唸ってる。
 真夏の午過の炎暑の中へ更に熱っぽい鉄の匂いがある。
  ツウィーッ!
  ツウィーッ!
 ビラにはこう書いてある。

  仕事がスンだら所持品棚のところへ集れ!
  三十分を惜しむな!
  食糧問題の自主的、階級的解決は俺達の任務だ!
  ボルシェビキ的積極性で、ヤッテ来イ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
[#地より4字上げ]職場アジプロ委員

 全体赤い字のところへ、「食糧問題」とだけ黒だ。パッと目をひくように、うまく書かれている。
「何だい?」
「何ヲ考え出したんだネ、暑いのにヨウ」
 わざわざ仕事台から離れてビラを壁のところまで読みに行く者もある。
 読んじまっても、みんな、すぐには行っちまわない。党員で、職長のペトロフまでゆっくり奥から出て来て、ビラの前へ立った。
「こりゃ、いい思いつきだ」
 もう一遍よみかえして見て、
「――ほかの職場連中知ってるのかネ?」
 アーニャがゴシゴシ手鑢をつかいながら、暑気を震わすような甲高い自信のある声で返事してる。
「グーロフがかけずりまわってるヨ」
 確にビラは金的を射た。みんなの注意をひきつけた。
 丸まっちい鼻の頭から下瞼の辺にかけて粒々汗をかきながら赤いムッツリした顔して信吉は働いてる。が、ビラによって起った職場のみんなの心持の反応は、信吉に一つ一つハッキリ感じられる。
 実のところ、信吉は人に知れない初めて経験する一種の亢奮につかまれているのだ。
 ソヴェト消費組合の活動に向って大衆を招集し、監督鼓舞すべき任務を示した論文が「プラウダ」に出た。それを昼休みにヤーシャがみんなに読んできかせたからではあるが、「赤いローザ」に消費組合監督の突撃隊が出来たことを話したのは信吉だ。
 それが直接のキッカケで、ヤーシャがアジプロ部へかけ出し、このビラとなった。だからビラはひと[#「ひと」に傍点]が書いたものだという気がしない。
 信吉にとって、第一これは、タッタ一度だって味ったことのない気持だ。ビラから、これから持たれようとする集会から、ひとのものではない気がするんだ。
 職場の連中は、どんな塩梅式にもって行くだろう?
 気が揃ってるとばかりは云えない。例えばグルズスキーみたよに、年じゅうブツクサ愚痴ってる家持ち[#「家持ち」に傍点]もいる。そうかと思えばアクリーナみたいに、色っぽい体ばかりくねらせて、五ヵ年計画なんぞ、ビーイだと云った風の女もいる。――
 ツウィーッ!
 ツウィーッ!
 ひょいと気がついて見ると、足許にもういい加減オーリャへまわす分の締金がたまってる。
 信吉は、モーターを切り、首をねじむけてオーリャを呼ぼうとした。が、オーリャはオーリャで、また頻りに何か考えながら働いてる様子だ。
 オカッパの髪を包んだ赤い布の片方の端を上被りの肩へ垂らし、鑢へ調子つけてかかりながら、心持眉を
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