に二八パーセントも殖えてる。これがわれわれの事実[#「事実」に傍点]だ!」
「異議なし!」
アーニャが手を挙げた。
「どっち道、その女工場委員はホントのボルシェビキじゃなかったんだ。何故逃げたんだ? 外国人つれて。――云わしゃいいんだ。大衆の口をふさぐことは許されてねえ。事実[#「事実」に傍点]で証明すりゃいいんだ」
信吉は、全力をつくしてみんなの言葉を理解しようとし、オーリャが今に何とか云うかと待った。がオーリャは始めっからしまいまで黙ってボイラーに腰かけ、上被のほころびを繕ってた。
四日ばかりして、こんなことがあった。
昼のボーが鳴って、洗面所の水道栓が一時に盛にジャージャー使われるので冷たい滴をいっぱいつけた。
それから信吉が食堂へ行って見たら、売店のガラス棚の中には、胡瓜がエナメル皿にのっかってるぎりでカランとしてる。蠅とラジオの音楽とがある。
肩幅のある鍛冶部の連中が所持品棚から手付コップをもってやって来た。ソヴェト同盟では、高熱作業や有害ガスの立つ作業をやる労働者は、組合の労働保護費で毎日牛乳を支給されてるんだ。
手に手にコップつき出して台の前へ列になった。
「そーら、お母ちゃん、牛乳おくれ!」
白い上被を着て白い布で頭を包んだ係りの女が、
「今日は、半コップだよ」
牛乳罐から杓子で、こぼさないようにコップへ分けた。
「――何故ね」
「牛乳組合で足りなかったんだヨ」
「……豪気なことんなりゃがったね!」
みんなは、渡される手付コップの中に半分だけ入ってる牛乳を眺めちょっとゆすぶって見、それからそこに立ったまんま、或はベンチにかけて、ユッくり注意ぶかく飲んだ。
飲むと、手の甲で口の端を拭き、
「ドレ……」
立ってった。
互同士の間でも、連中は牛乳の足りないことについちゃ、悪態もつかなかったし愚痴もこぼさない。ただいつもより喋らなかっただけだ。
ジッと見ていて、信吉は思わず自分もシッカリ立ち上った。
裏の広っぱではギラギラ光る碧い空へ向って起重機の黒い動かない腕が突出てる。
高く飛行機が飛んでる。
下で、裸の肩へ赤ネクタイを翻す工場学校のピオニェール達。タッタ今食堂で半コップぎりの牛乳を支給されて来た鍛冶部の連中。古ボイラーのまわりへタカったり、金屑の山をこじったり賑やかに蟻みたいに働いてる。
今日は「鋤」の「廃物利用突撃デー」だ。
ソヴェト同盟は五ヵ年計画で、役に立つものなら古桶の箍《たが》でもこねかえして機械にしてしまうという意気込みなんだ。
信吉も一生懸命ホジっちゃ地べたへ古鋲や変な古金物の端をはじき出してるところへ、ブラリと煙草をまきながらグルズスキーがやって来た。
「……今日は鍛冶部へ牛乳が半コップだけしか渡んなかった……知ってるか?」
「それがどうしたよ」
信吉は、額の汗を払いながら太い声出した。
「……見ろ。初めてだぜこの工場で。……農民は、だんだん労働者に食わせねえようになって来たんだ。奴等、怒ってるんだ。……二〇年の饑饉だってそこから起ったんだ」
こいつ何故、俺をつらまえちゃこういうことを云うんだ? 信吉の腹ん中には、さっき自分の眼で見た鍛冶部の連中の態度がうちこまれてる。彼等はこういう風には、そのことを扱ってない。――「おいトッちゃん」
信吉は立ち上ってグルズスキーの肩を両手で持ちクルリとあっちを向けた。そして指さした。
「あの人にそういうことァ云ってくれ!」
「……どの人よ」
「あの人ヨ」
信吉はもうしゃがんで掘じくりながら笑ってる。
「……畜生!」
グルズスキーはプーッと地べたへ唾して行っちまった。信吉は笑ってる。
信吉が指さした広っぱの端れには、荷馬車からはなされた馬がいる。馬は糞をしてる。
燦く碧空で、屑の中から有用なものを掘り出してる無数の人間の上で、飛行機のプロペラが唸ってる。――
二
全露共産党中央委員会書記が「プラウダ」に報告を書いた。
何故ソヴェト同盟には食糧困難があるか? なるほどソヴェト農民が昔は食わずに売っていたバタや肉・卵を自分のところでも食うようになって来た。だが、農村のそういう生活向上は、解放されたプロレタリアート国家として非難すべきことだろうか? 否。実によろこぶべき事実だ。
ソヴェト全同盟の労働者農民の営養はもっともっと高められなければならない。
五ヵ年計画はこの領域にも手をのばし、農産物の増加と価格の低下で、現在一人当り四九・一キログラムの肉類の消費を六二・七キログラムに、九〇・七個ずつ食われる卵の数は一五五個に。二一八キログラムの牛乳製品は三三九キログラムに、それぞれ高めようとしているのだ。
現在の肉類の欠乏は、五ヵ年計画のはじめ、集団農場化が行われるとき、階級的意識の低い中農
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