人のバラックと、山の斜面に四棟の小舎が建っていた。
 根元へ斧を入れられた樹は先ず頭から振れ出し、細かい雪煙をたてて四辺《あたり》の下枝を折りながら倒れる。それにたかって枝をおろす。それから雪の上、林の間を馬に引っぱらせてアムグーン川の上流まで運び出す。
 そこでは日本人夫の経験のあるのが、材木をドシドシ氷結したアムグーン川へころがし込んだ。春、解氷期になると、ロシアじゅうの川は気ぜわしく泡立ちながら氾濫する。今こうやって氷の上へぶちこまれている材木は、アムグーン川の氷がとけて水嵩《みずかさ》がますと一緒に、河口までひとりでに押し出されるという寸法だ。
 人夫募集広告には、日魯林業株式会社直営現場となっていた。が、それは表面上のことで、内実は伐り出しから船渡しまでがいくらと、親分の請負だ。信吉のような平人夫は日給二円。一人前の仲仕が二円八十銭位とった。金は、いきなり事務所の会計では渡さず親分のハンコがいった。山でいるだけの小遣いは露貨で貰って、残りは日本の金で宅渡しだ。
 ××林業が現場を開いた年から毎年出稼ぎに来ているという源が、或る日バラックで腹掛のドンブリから受けとって来た金を出しながら、
「畜生、なめてやがんな。ルーブリをいつだって六十五銭よりやすかあ換算しやがらねえ。手前たちの税なんか、どんなルーブリで払ってやがるか知れやしねえのに……」
と云った。信吉には初耳だ。
「相場あ、違うのけ?」
「ルーブリはお前、国定相場と暗黒相場ってえのと二通りあるんだ。国定で行きゃあ一ルーブリは一円がちょいと足を出すのよ。ところが、国法で、ソヴェトは金《きん》を国外へ持ち出すことを許さねえ。そこでチャンコロが密輸入で儲けたルーブリをみんなロシアの国境で投げ売りする。奴等あちゃんと人を使ってそいつを片っぱしから買わせてやがるんだ。ソヴェトへ払う税や、お前、労働者に払う金は、図々しくそういうルーブリでゴチャマカしてやがるから、会社あ肥るんだ。ソヴェト対手《あいて》の利権会社あみんなその手をつかってるのよ」
「そうかい!」
 どうりで分った。ハゲ小林が、人夫への換算払出しには割方鷹揚なわけだ。人夫への換算率は六十五銭だが実は三十銭ぐらいで買ったルーブリだとすりゃ、もうそこで三十五銭は丸儲けだ。円で払う分《ぶん》が減りゃ減るほど奴等が得するんだ。
「ようし、畜生! じゃ俺あ帰るまで
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