さそうに壇の下に立っている若い女に、質問をはじめた。
水上救護協会書記の妻ワルワーラが同じ借室の、裁縫女ナデージュダに絹ブラウズを縫わせた。ところが出来がわるいと云って金を払わず、請求するたんびにひどい悪態をついて辱しめる。その訴訟だ。「証人、グラフィーラ・イリンスカヤ」
五
声に応じて出て来たのは、体がしぼんでしぼんで、どんなにタクシ上げても裾が引きずるというような恰好をした七十余の婆さんだ。
婆さんは、赤い布をかけた机の下へ行きつくと、旧知の人にでも会ったように首をさしのばして、
「今日は。――女市民さん」
と愛嬌よく女裁判官に挨拶した。
思わず室の半分ばかりがふき出した。
「――私の訊くことだけに答えて下さい。よござんすか」
女裁判官が澄んだ瞳に笑を泛べしずかに云った。
「はいはい、わかりますよ。可愛いお方。私はもうこの年で、どうして嘘なんぞを吐きますべ。人の罪はわが罪でございますよ。――神よ、護り給え!」
婆さんは胸の前でいくつも十字をきりながら裁判官の後の壁にかかってる大きいレーニンの肖像へ向って恭々《うやうや》しく辞儀した。
滑稽にハメをはずしながら、婆さんはワルワーラがナデージュダに唾をしっかけたことまで証言した。
「同志裁判官! 御免なさい、一言」
チェッ! 信吉は小鼻の横を指でこすった。裁判官が女だもんで、こいつは何とかごまかそうとかかってるんだ。
「妻に代って一言――」
「市民! あなたおわかりでしょう。ソヴェト権力は男と女とを平等な権利で認めているんです。あなたの妻に関係したことにあなたが口をはさむことは許されません」
「同志裁判官! そりゃ官僚主義です」
猫背の男は、演説をするように片手を前へのばして叫んだ。
「妻は病気になったんです。それにも拘らず」
裁判官は、穏やかに、キッパリそれを制した。
「ちっとも官僚主義じゃありません。私共は明後日でも、あなたの妻の体がなおるまで、いつまででも待ちます。彼女が出廷出来るまで事件は保留です。そう伝えて下さい」
そしてナデージュダと婆さんに、
「おかけなさい」
場内に満足のざわめきが起った。
左右の若い陪審員も、やっぱりこの女裁判官を尊敬し好いていることは、ちょっとした動作――例えば鉛筆をとってやったりするときのそぶりにだって現れている。
信吉は、感服して
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