、こわい、だが道理のわかる小母さんみたいな女裁判官を眺めた。ソヴェトみたいな国になると、へ、女までこんなに違うんだべか!
 ゆっくり厚紙の表紙をめくりながら、
「チホーン・アルフィモヴィッチ・グリーゼル」
 ソラ来た!
 信吉はびんとなって、ベンチからのり出した。いよいよ親父の番だゾ。
 返事がないんで、女裁判官がもう一度、
「チホン……」
と云いかけたとき、
「ここです」
 思いがけず、赤い布をかけたテーブルの直ぐわきに立ってる一かたまりの群集を肩でわけて、グリーゼルが剛腹そうな坊主頭で現れた。
「エレーナ・アレクサンドロヴナ・パタキン」
 布団にくるんだ乳呑児を両手で抱えた弱そうな若い女が、グリーゼルと並んで立った。図体の大きいグリーゼルのわきで、女は彼の娘ぐらいの小ささに見えた。
「本事件はエレーナ・アレークサンドロヴナ・パタキンによって、チホーン・アルフィモヴィッチ・グリーゼルに対して提起された養育費《アリメント》請求に関する訴訟です」
 爺め! 信吉は変な気になった。
 だって、この見栄えのしない小さな女とは一つ建物に棲んでいて、朝晩見かける。グリーゼルと、内庭のベンチに並んで腰かけたりしているのを見たこともある。
 そんなときでも親父は、パイプをくわえて、相変らず意地わるいドロリとした眼付で物も云わずかけている。女は、赤坊をかかえて、チョコンとその横にいる。信吉は、女を今日までグリーゼルの親類、姪かなんか、と思ってた。年だってその位違うんだ。
 身分調べがすむと、女裁判官は、エレーナに訊いた。
「あなたは、どういう機会でグリーゼルと知り合いになったんですか?」
 女は、フイとうつむいて、赤坊をつつんだ布団をいじくりながら黙った。
「……きまりわるがることはないんですよ」
 励ますように女裁判官が説明してきかせた。
「すっかり事情がわからなければ、私共はあなたを助けたげることが出来ないわけです」
「私、仕事がほしかったんです」
「――それで?」
「私工場へ働きに出たことはないし、どうしようと思ってたら、チホーン・アルフィモヴィッチが、ソヴェトに知っている者がいるから、野菜の許可露天商人に世話してやるって云ったんです」
「それが今の職業ですね」
「ええ」
「どうして真直職業紹介所へ行かなかったんですか?」
「……うまく行くだろうと思ったんです」
 咳きばらい
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