た。
ガラス戸をあけて入ったところは広く、左手に鎌と槌を様式化したスタンドがあり国立出版所《ゴスイズダート》が本を売っている。
もう一重ガラス戸。
奥は廊下だ。工業化公債募集のビラ。会議の布告。国防飛行協会《オソアビアヒム》クラブ主催屋外音楽会の広告ベンチがいくつも壁にそって並んでいる。
赤い布《プラトーク》で頭を包んだ婦人郵便配達が、ベンチの上へパンパンに書附類の入った黒鞄をひろげいそがしそうに何か探している。太い脚を黒い編あげ靴がキュッとしめている。
いそぎ足でいろんな人間が廊下をとおった。みんな、この大きな建物内にある無数な室それぞれの場所、職務をよく知っているらしい様子である。
日本女は右手の受付へ行った。
――百二十四番の室の許可証を下さい。
ゴム印をおし、番号を書いた紙片を貰って、さらにもう一枚ガラス戸をあけて、表階段をのぼって行った。
二階の壁に、絵入りのスモーリヌイ勤労者壁新聞が張り出してある。
スモーリヌイの外観は快活である。そのように内部も清潔で、白い。極めてさっぱりしている。
三階の廊下へ入るところに、赤衛兵が番をしている。許可証を赤衛兵にわたした。婦人部《ジェノトデェール》[#「婦人部《ジェノトデェール》」は枠囲い]金文字の札が出ている。戸がかたい。うんと力を入れて開けたら日本女がびっくりした程ひどい音がした。
事務机。二つの電話。大きな紙屑籠、重ねあげられた書類、ひとり女が仕事している。
――御用ですか?
赤鉛筆で何か書類に棒をひきながら、
――対外文化連絡協会から電話があったろうと思いますが……日本から来たものです。
――ああ。
顔をあげて、並んでいる二人の日本女を見た。
――わかってます、一寸待って下さい。
引込んだその女について、すらりとした、黒っぽい服装の若い女が奥の室から出て来た。彼女は、軽く、直線的に日本女に向って歩いて来ながら手をさし出した。
――こんにちは、ロシア語おわかりでしょう?
――大抵のことはわかるつもりです。
――それ以上何がいりましょう?
先に立って、自身出て来たとは反対側の戸をあけた、そこも一つの室で、今は空だ。ローザ・ルクセンブルグの写真がかかっている。椅子が二つしかなかった。
――ちょっと待って下さい、すぐとって来ますから。
婦人部の事業は全部女によってされているのだ。
――何からお話したらいいかしらん、……きりょうのいい婦人党員は二人の日本女を見くらべながら笑った。
――革命前と革命後の女の生活の変化といったら、全くそれを経験しないものには理解するのさえ困難なくらいです。どこが変ったと訊かれれば、何もかにも変ったと答えるしかないんです。我々のところで、旧いブルジョアの社会組織は、ばらばらにこわれて誰の役にも立たないものになってしまった。新しい生産関係の上に社会主義社会が新らしく組み立てなおされた。一九一七年から二一年までСССРの人間は随分辛いところを切りぬけて来たんです。御承知の通り、イギリスやチェックは白軍と連合してどんどん侵入して来るし……。
第一「十月」革命当時、ブルジョア・インテリゲンチアの社会民主主義者連はボルシェヴィキーに対して何といったと思います? こういってたんです。「パリ・コンミューンは、あれでも二月と二日続いた。が、ボルシェヴィキーの政府は三日もちゃしない。やらせて見るのもよかろう。そして、今わいわいいってる民衆自身が、ボルシェヴィキーには政府を組織する実力なんぞないことを知るのもよかろうさ!」
社会民主主義者連はボルシェヴィキーを自分たちと同じに考えていたんです。
われわれのところにはレーニンがいた――
しばらく黙った。それから婦人党員は訊いた。
――日本でレーニンはどのくらい知られています?
――どの位って……知らない者より知ってる者の数が多い、そして知ってる者はおのおのの立場でそうあらねばならないように知っている――つまり、或るものは知って、愛している。或るものは恐怖して憎んでいるでしょう。
日本女は、笑ってつけ加えた。
――そしてリベラリストは、いつもこういってるんです。レーニンは少くとも偉大な革命の指導者だった。しかし、日本にはまだレーニンがいないからね。
婦人党員は愉快そうに、よく揃った歯なみを見せて笑った。
――ボルシェヴィキーが十月革命のとき、全国の積極的な革命的プロレタリアートによってどんなに支持されていたか、どんなにボルシェヴィキーはプロレタリアート自身の党であるか、ブルジョア社会民主主義者は理解しなかったんです、ロシアのプロレタリアートは「十月」までに「一九〇五年」を経験しているんですからね、男も女も自分の血のねうちは知っている。
――大事なことはね。
熱心に、輝く眼で日本女の眼を見ながら、婦人党員が、言葉に力をこめていった。
――われわれんところで、婦人解放が、革命を通し、改められた生産と労働との関係をとおして日常の実践のなかからおこなわれて来たことです、革命当時、どの女にとっても新しい一日は新しい一世紀みたいだった、仕事はうんとある、人が足りない、今までは引こんでいた女が場所につく、直ぐ新しい仕事に自分を馴らし、刻々推移する事情を判断し、自身いる場所の任務をはたさなければならない、女は戦線へも行ったし委員《コミサール》にもなったし市街戦のバリケードこしらえもやったんです、生と死の間で男とともにやらないことはなかった、その間に、女は今まで自身知らなかった能力を自分のうちに発見し、必要を発見し、それを整理していった。
だから、現在われわれの持ってるどんな女のための法令一つだって実際の困難と必要との経験を徹して作られなかったものはないんですよ。
たとえばソヴェトでは女でも十八歳から選挙権をもっている、ブルジョア国の政治家は、若すぎるという、果して若すぎるでしょうか? 資本主義生産は十三歳の幼年工を何時間働かしています? 若すぎるといって夜業をさせないでしょうか?
プロレタリアートは永い経験によって、プロレタリアートの十八歳の女は、職場で立派に一人前の生産単位であることを知っています。十八歳の娘が、集会で意見を述べ、また述べるべき実際的な意見をもってることを知っている。だから、彼女らに選挙権があるのは当然なことなんです。
印刷した統計表をもって来て、婦人党員は日本女に示した。
――御覧なさい。ソヴェト同盟に約三百二十万人勤労婦人がいます、三百万余人が職業組合員です、ソヴェトの指導的任務についているのが三十万千百人、そして十六万七千六人の婦人党員のうち五七・四パーセントは労働婦人です。
入ったところから、もう机だ。長い机が四かわに、並んでいる。それを左右からぎっしり、いろんな年配の女がとりかこんでいる。首を横にしてそっちを眺めるような位置に、一人、男の教師がいて、椅子にかけている。教壇も何もない。机が彼の前に一つあるぎりだ。一番戸に近い側の女たちは、後の本棚と机との狭い間できゅうくつそうに床几にかけ、しかもそんなことには頓着しない風で、一生懸命手帳に何か書いている。
質素な服装。がっしりした肩つきだ。若いの、中年の、いれまじった顔は、どれも自分たちの思考力を鉛筆の先へつかまえておくために本気である。
地味な、断髪の女が机と机との間をしずかに歩いている。肩ごしに女たちの手帳をのぞき、時々必要な注意を与えている。日本女のすぐそばまで来た時、二十七八の女の手帳をのぞき低い声で、
――これは間違ってる。
注意を与えた。
――これは質問です。あんたが書かなけりゃならないのは、これの答えです。
いわれた女は、ちょいと顎を出して、大きく合点した。そして顔を赤くした。
ソヴェト・ロシアにおいては、さっき三階の、ローザ・ルクセンブルグの肖像画のかかった室で、婦人党員が説明したように、実践をとおして獲得した女の公民権を十分に行使する者の率が年々素晴らしく増して来た。たとえば農村においてさえ、ソヴェト選挙のとき活動する女の率が、
一九二四年 二五パーセント
一九二五年 三十パーセント
一九二六年 七十三パーセント
という飛躍ぶりだ。農村ソヴェトの指導的位置について働いている女さえすでに数千人いる。СССРが、農村の集団化、集団農場を中心として社会主義的建て直しをやろうとしている時、農村ソヴェトの進退は、重大な意味をもっている。その農村ソヴェト選挙に当って活動する農村の女が、では農村ソヴェトの実際的な使命をどう理解しているかということが、従ってまた重大な関係を持っているのは当然である。
帝政時代、農村の女はひどく暮した。今、彼女らは解放された。しかし、社会主義社会建設のための任務を、十人が十人同じように理解しているだろうか。そうだとは決していえぬ。
そこで、スモーリヌイのレーニングラード・ソヴェト婦人部は文化部の事業として、この農村ソヴェト選挙準備のための夏期講習会を組織した。
期間。二ヵ月。
課目。ソヴェト政権とはなにか。世界の経済。党史。数学。ロシア語。
今ここで、勉強している農婦、妻であり、母である彼女たちは、講習をすまして田舎へかえれば、それぞれの村で直接、農村ソヴェトに関する活動の指導者として働かなければならないのだ。
いつの間にか入って来て、日本女のうしろに立っていた、若い、麻の仕事着をきた女が小さい声でいった。
――この中には現に村ソヴェトの書記をしているひともあるんです。……みんな遠いところから来た。子供三人「子供の家」へたのんでまで来ているひともあります。
彼女らは、一つずつの課題に対して力をこめて大きく鉛筆をはこび、それを書くのに永い時間かかった。
――ごらんなさい、ときどき授業はかなりむずかしいんです、馴れていないんです、机の前に坐って自分の考えを纏めたり、書いたりするのに。でも、御覧なさい、みんな、どんなに熱心にその困難を征服しようとしているか。
日本女は、その、麻の仕事着をきた若い婦人党員をさそって廊下へ出た。
――あのひとたち、一日何時間ずつ課業があるんです?
――四時間から、日によっては六時間です。
ブラブラ明るい階段の方へ向って歩きながら、答えた。
――あの人たち、みんなここの寄宿舎に暮しているんです。汽車賃を貰って来て、無料で勉強して、十五ルーブリくらいずつ小遣いを支給されています。……きのう、私ども、あの人たちと美術館(エルミタージ)見学に行きましたよ。
――大抵、党員なんですか?
――いいえ、いいえ!
薄い繭紬みたいな布《プラトーク》で頭をつつんだ血色のいい婦人党員は、つよく否定した。
――みんな党外の婦人です、党は、党外の人々の助力なしに何も出来ない。……ああ、あなた、暇ですか?
百二十四番の室へ、来なければならなかった。
――じゃ丁度いい、今日あの人たちあなたと話す時間がないが、きっと、それを希望しているだろうと思います。もう一遍よってくれませんか?
勿論、異議のあろうはずはない。だが、このひとはいつ休むのだろうか? 日本女は、
――あなた、休暇もうすんだんですか?
と繭紬の布《プラトーク》にきいた。
――これから、……この講習がすんでから。
彼女は二十五だ。共産主義大学を来年卒業するところである。共産主義大学の生徒は、他のソヴェトの専門学校と同じく、夏の休みを必ず実習につかう。彼女もここで休みの一部をそういう目的に費している。
――……私、小さい娘がいるんですよ、十一ヵ月の。
ふと、あたたかく微笑みながら元気な彼女がいった。
――今は、彼女の父親と田舎に暮しているけれども……
後の窓からぱっとさし込む明るい光が、いろんな色の髪の毛を照している。(約束した、明後日という日のことだ。)なかにたった一つ、黒い黒い髪がある。それは日本女のである。
彼女は、立って、いっている。
――タワー
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