の柱にうちつけてある鉄の足がかりを伝わって上の段へあがってしまった。
 下の坐席でもう一人の日本女が鞄を足元へ置こうとしたら、綺麗な髪を蔭においてふしながらそれを見ていた若い女が、
 ――枕元へおいた方がいいでしょう。
と注意した。
 ――私どもきっとぐっすり眠っちゃうから、明日の朝まで荷物見るものがないでしょう? だからね。
 そういって笑った。
 鞄を頭の奥へ立て、布団を体にまきつけ、やっと二人目の日本女も横になった。
 レーニングラード、モスクワ間八百六十五キロメートル。車輪の響きは桃色綿繻子の布団をとおして工合よく日本女をゆすぶった。坐席はひろくゆったりしている。南京虫もこれなら出そうもない。――そうだ。
 革命の時代は、三等車かそれとも貨車の中へいきなりわらを敷いて乗って行く方がずっと安全だった。なまじっかビロードなどを張った軟床車よりは。当時シラミは歴史的にふとっていたのだ。シラミはチフス菌を背負って歩いていた。――
 今この三等夜汽車で靴をはいたまんま寝て揺られている旅客の何人かが、一九一七年から二一年までの間にその光栄あるСССРの歴史的シラミを破れ外套の裾にくッつけて
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