きはオペラ劇場の天国でやっと音楽をきいたと思い出の中に書いている。)
十月の革命は、ロシアの支配者をブルジョアからプロレタリアートに代えたと同時に、こういう状態を根本からかえた。オペラ劇場で、今日「ボリス・ゴドノフ」を聴いている聴衆は、昼間工場や役所やで、木綿服で働いている男女の勤労者である。金ピカの棧敷や、赤ビロードで張った座席には、冷たい水で顔を洗い、さっぱり洗濯した白木綿のブラウズをきた女が、音楽をききながら、いい香のロシア・リンゴを前歯でかいては、たべている。
昔からのブルジョア文化を、プロレタリアートの利用のために獲得したばかりではない。ソヴェト同盟は、世界のプロレタリアート文化の第一線に立って、さらに新しい自分ら独特の劇を、音楽を、キノを製作し、各劇場は、常に座席の一定数だけ、職業組合を通じて、半額以下で一般勤労者に分けている。
芸術は、階級の武器の一つである。プロレタリアート独裁のソヴェトは、独特なプロレタリアート芸術とその利用法によって、社会主義社会の実生活を表現するとともに、新しい時代に生きるソヴェトの大人と、未来のスメーナである子供とに、いきいきした階級的教育を与えている。
イギリスのプロレタリアートは、骨ぬきの労働党と二百万の失業者とをもっている。イギリスのプロレタリアートは、こういう子供のための劇場を、いつもつようになるであろうか。
アメリカは、金持たちの子供を、個人主義の天才養成法、ダルトン・プランで教育する。が、六百万人の失業者、家族人員にする千六百万人もの大人子供が飢えているアメリカのプロレタリアートは、どこにこんな子供の劇場を持っているだろう。
日本女がつよい感動で思わずそう考えたのは無理ではないのだ。何故なら、日本女はこのレーニングラードが持つ最もよい劇団の一つ「若い観衆の劇場」に、今坐って、幸福な数百の子供にとりまかれている。
舞台では、「インドの子供」の第二幕が進行中だ。
インドには、宗派による沢山の階級がある。その階級の差別は極めてやかましく、たとえば、草ぶき小舎にすんでいるヒンドゥースの娘スンダーリは、自分の飲む水を、上の階級ブラマンのものたちが水を汲む泉から決して汲んではいけない。泉に近づいただけでもののしられ、なぐられる。小さい黒い男の子ウペシュは、それを眺めてフンガイするが、どうしよう? ウペシュにも彼をなぐるものがある。イギリスの役人だ。彼は小さいインドの小僧としてそのイギリス人に使われ、字を読むことも知らない。
いつも哀れなインドのプロレタリアートのために親切な医者として働いているヨーロッパ人のチャンドラナート・パープの息子、ラグナートとウペシュは友達になった。
舞台は、今チャンドラナート・パープの家だ。二人は同じぐらいの年ごろで、――つまり観衆の子供と同じ十一二歳の子供たちだが、どうだ! ラグナートが、左手の隅のカーテンの中へ一寸入ると、室じゅうが急に真暗になった。
――ああ! ラグナート! どこいった? こわいよ! 暗いとこへは悪魔が出るよ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
――大丈夫だよ! 大丈夫だよ。僕ここさ。
だが、なにが初まろうというんだ? 観衆の少年少女はラグナートの緊張を自分の心に感じて息をころしている。
――ここを見て御覧。
ラグナートの声の方を見ていると、細長い箱みたいなところがボーッと明るくなって、人間の形が浮き出たかと思うと、
――ヒヤーッ! 助けてくれ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
インドの子供が悲鳴をあげたのは当り前だ。骸骨だ、そこへ現れたのは。
観客席はざわめく。
――ラグナート! ラグナート!
泣かんばかりに腰をぬかしたウペシュを照してパッと電燈がついた。骸骨も消えた。
ラグナートは今度ウペシュをカーテンの中に入れ、
――そこんところへ手を出してたまえ。
電燈が消える、ポーッと現れたのは骨ばっかりの手だ。
――イヤダヨーッ! 死ぬのはいやだよッ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
――死にゃしないよ。ホラ!
電気がついて見ると、ウペシュははね上って大悦びした。
――やあ! 死んでないや! 死んでないや!
見物の子供たちと日本女とはラグナートと一緒にハアハア大笑いし、同時に、実はそっと一安心する。それはレントゲンだったのだ。ここではじめてレントゲンの科学的作用をまのあたり知った子供が観衆の幾割かを占めているのは明らかなことだ。
「|若い観衆《トユーズ》の劇場」は一九二一年、レーニングラード地方ソヴェト文化部管理の下に活動をはじめた。
日本女と子供たちの手にあるプログラムには「インドの子供」の役割が書いてあるだけではない。やさしい言葉で、インドの社会的事情が前書として説明してある。終りに「何をよ
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