らべて自分の壁にかけている。
『プラウダ』が刻々にうつりかわるСССР全土の、世界プロレタリアート全体の問題について書いている。工場新聞は、その問題に当面して一工場としての立場から同じ題目をとりあげる。壁新聞は、もう一段こまかくわかれた職場学級内の遠慮ない発言、要求、自己批判の手段として利用されている。だから人は見るだろう、一日の発行部数十数万の『イズヴェスチア』新聞社の正面昇降機の横にまでも、絵入り手書きの『イズヴェスチア』勤労者壁新聞は、いつもぶら下っているのを。
(うち[#「うち」に傍点]のこういう壁新聞や工場新聞および外のいろんな新聞と連絡を保って、社会主義社会の建設に貢献している労働通信員、農村通信員は、ソヴェトに三十万人以上ある。)
 ――こんちは。
 振かえりつつ見るとムイロフだ。白いゆるやかなルバーシカをきて蓋をあけっぱなした書類入鞄をかかえている。
 ――この間は日本の金ありがとう、今日は何です?
 ――レーニングラード市ソヴェト委員会があるんだそうです。
 金網をかぶせた頑丈な自分の腕時計を彼は見た。
 ――まだ二時間近く暇がある、室へ来ませんかね。
 親切な眼をもったレーニングラード・ソヴェト文化部員ムイロフは革命のとき鍛冶屋だった。一九一三年からの党員だ。はじめて会った時、ムイロフは、大きい手へ逆にもった鉛筆をけずりながらあんたの職業はなんだと日本女に訊いた。「私は作家だ」「ふーむ。作家も仕事をもってる」それから丁寧に鉛筆の削り屑を机の下の紙くず籠へすてて「……リベディンスキーの『一週間』というのは日本に知られてるだろうかな?」といった男だ。
 ――あんたがた、レーニンの室見せて貰いましたかね。
 不意にムイロフが訊ねた。
 ――いいえ。
 彼の室へ来ると、
 ――一寸かけて待っててくれ。
 書類入鞄を机の上へほっぽり出して、いそぎ足に出て行った。
 ――見られるんだろうか、レーニンの室って。
 ――さあ、いいな、もしそういう工合になれば。
 じき、帰って来たムイロフが、開いた戸から首をつっこんで二人の日本女を呼んだ。
 ――出かけましょう!
 手に鍵束を下げたムイロフについてまた廊下へ出た。
 少し行って、廊下を左に曲る、日本女が足のはずみでその前を通りすぎそうにしたごくあたり前の或る木の扉のところでとまった。鍵がうまく合わない。プリントを
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