もって後を通りすがった男が、
 ――開かないのか?
 ――うん、ミーシャが今いないんだ。
 その廊下のもう一方の側にもずらりと同じような室が並んでいる。
 戸が開いた。
 が、日本女はいそがず、見るものはみんな覚えておこうとするような顔つきをして室へ入った。ムイロフも一緒にあたりを眺めながら、
 ――レーニンは十月革命のあいだずっとここにいた、……もと、華族女学校の女中部屋だったところですよ。
 なるほど左の壁には、いくつも並んで水道栓と流しがついていた跡がある。細い部屋だ。つき当りに一つしか窓がない。大きい戸棚が左の壁と窓との間に立っている。戸棚には錠がおろされ、赤い封印がついている。
 ――住んでいたのはこっちです。
 三尺の戸がついていて奥の室へ通じる。入口の室の倍ほどの大きさの四角い室だ。どっちにしろごく小さい室だ。むきだしの木の床に粗末な赤ラシャ張りの椅子が三四脚ある。バネがこわれた長椅子がある。机は相当大きいが、ひどいものだ。鉄寝台の、すっかりバネのゆるんで下へたれたのが二つ、たれ幕のうしろに並んでいる。ここは窓が二つだ。が入口はない。どうしても、手前の、水道栓のあとのある室を通って来なければ、こっちへ入れないように出来ている。
 レーニンは十月革命前後から、モスクワへ首府をうつすまで、この一室で、この椅子で、妻のクループスカヤと仕事していたのである。
 レーニンは、外国亡命中にも、いろんな都会や田舎で、いろんな室に住んだ。モスクワのレーニン研究所所属レーニン博物館へ行ったものは、レーニンがウリヤーノフという本名で中学生だったころ、どんなに行状のよい優等生であったかを知るとともに、クレムリンに政府が引越して来てから、レーニンがどんな室に住んでいたかも、見ることが出来る。
 そこには、世界的に流布された『プラウダ』を読むレーニンの写真でなじみの机がある。三つのガラス戸つきの本棚が立っている。皮張椅子が三つ。そして、壁には地図がはられ、もう一つ貼紙がある。「禁煙」。この室に寝台はない。
 だが、レーニンが住んでいた室という写真の他のどれを見ても、机がきっとあると同時にきっと粗末な寝台がうつっている、彼がそれだけ、いつも倹約に生活していたことの証拠だろう。
 ――元、この室にいろんなものが陳列してあったんですが、それはレーニン博物館へ集めてしまった。
 ムイロ
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