家出をした。僧院に向う途中、トルストイはアスタポヴォという寒村の小駅で、急に肺炎をおこして亡くなったのであった。
 レフ・トルストイは、全生涯を賭して解決し得なかった諸矛盾のまことに正直な、潔白な負い手として傷つきながら、「自分にとったより遙かに多くのものを」ソフィヤ夫人と八人の子供達とにのこして、死んだのである。
 レフ・トルストイの生涯の終った一九一〇年と云えば、四年後にはヨーロッパ大戦が起っている。続いてその三年目は、逝けるレフ・トルストイが目醒めないながらも熾烈に働く人間精神の欲求によってさぐり求めていた万民の幸福への、至難多岐な第一歩がロシア全土に於て踏み出された年である。
 父を理解しない当時の国家の権力までをつかって、財産を己れらの手許にとりとどめた息子らは、歴史の更に大きい浪によって或る者はそれを失ったであろうし、或るものはその財力のおかげでフランスへ亡命し、やがてそのような亡命者として父トルストイの余恵をさがしつつ、真には父の求めていた人間的なものの発展の姿も理解し得ず、市民的な精神のよりどころ迄を失って、一人のジャン・トルストイにこの手記を書かせるに至っている。
 
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