た。一八八七年、五十九歳に達したトルストイと四十三歳のソフィヤ夫人とは銀婚式をあげ、恐らくそれは世界的大芸術家、社会改良家、哲人としての名誉にふさわしい家族的祝祭であったであろうが、トルストイは自分の日記に向ってただ一行、恐ろしい含蓄をもって書いている。「もっとよくあり得た筈だ」と。
 晩年、特に最後の数年のトルストイとその家族の生活というものは、さながら急速に崩壊するロシア貴族階級の最も強烈な精神挌闘史の如き観がある。
 大体レフ・トルストイの思想と芸術とは、世界文学に冠絶した強靭な追求力、芸術的描写の現実性をもっているにかかわらず、当時ロシアに擡頭し発展しつつあった社会思想とは全然別な道を行っていた。個人個人の人間性への自覚、道徳的・宗教的愛の実践というものが人生を浄めると考えたトルストイは、大地主であり貴族である自身の生活環境に対する批判から、農民の素朴な信仰、飾られない人間性を理想化し或る意味では美化して高く評価した。労働、菜食、百姓なみのルバーシカを着ること、民話をかき、村塾を開くなどそういうソフィヤ夫人の不平の種になるような事々に、トルストイは、真に人類解放を目標として献身
前へ 次へ
全14ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング