婚して四ヵ月目の良人であるトルストイは率直に書いた。「家庭的幸福が私をのみこんでいる」と。だが三月一日には「全く彼女に価するであろうところの人間に対する嫉妬……。が、理解と感情との最少のきらめきがあれば、私は再び全く幸福である。そして、彼女が物事を私と同じように理解していることを信ずる」と、極めて微妙な形と物柔かさとに於てであるけれども、トルストイを最後の悲劇に導いた夫婦の間の生きる目的の分裂が仄見えはじめているのである。
翌年の冬、息子が生れた。トルストイはこの頃から「戦争と平和」に着手した。完成に四年かかった。つづいて「アンナ・カレーニナ」を書き、次第に彼の宗教的転換がはじまった。民話をかきはじめ、当時のロシアのギリシャ教の神学への批判をかき、「我が懺悔」「我が宗教」「我等何をなすべきか」等を著し、好きな狩猟をも、楽しみのための殺戮に反対してやめてしまった。次から次へと生れて来る子供たちの世話をしたり、家政をとる傍《かたわ》ら、徹夜までしてレフ・トルストイの作品の浄書をして援けて来たソフィヤ夫人とトルストイの間は、トルストイが一度、一度と精神的危機を経験する毎に離反の度を増して来
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