カレーニナ」を書いたのは四十九歳のときであった。トルストイが没したのは一九一〇年であったから、今日まで二十七年の歳月が流れた。この二十七年の日月は人類の歴史上かつてなかった大波瀾を内容としていて、彼の見ざる孫の一人ジャンのこの手記が、計らず今日私たちに一種の感動をもって三代のトルストイの生活の上にあらわれた推移を考えなおさせるのである。
 ジャンは、この文章の中に父の名を書いていない。ただ、亡命ロシア人、作家としてパリに生活しているそうだとだけ云っている。父の名を全く知らないのだろうか。或はいやな心持からわざと書かないのか。それは私たちに分らない。母の名も同様である。
 レフ・トルストイには八人の男の子と三人の娘とがあった。そのうち四男、七男、八男の三人は夭折した。残った五人の息子たちのうちの誰が、ジャンの父であったのだろう。ジャンを十三まで育てて亡くなったお祖母さん、唯一の肉親の思い出として語られているオリガ・ソルスキーという老婦人の身元もよくわからない。大方、激しい夫婦喧嘩の末離婚したという母のおっ母さんに当るひとででもあったのだろうと思われる。祖父トルストイの妻はソフィヤ・アンド
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング