活[#「嘗てあった生活」に傍点]の幻を注ぎこまれて、中途半端な育ちかたをしたことは、ジャンにとって親を失ったより大きい客観的な不運である。地べたいじりがいやでたまらぬジャンの気持。農民の武骨な感情表現になれることの出来ないジャンの都会気質と或は決してなくはないかもしれぬ自分の出生にこだわった心持。これらのこともジャンの持つ負け札として見のがせない。
ただ、ジャンが機械工になりたくて仕方がなく、その方面では技術をさずけられ自信ももっているのに、教化所が一つの慣例のように農家へばかり委托する為に、ジャンの生活が破綻してゆく点を、私は心から哀れに思う。
アブデェンコの小説「私は愛す」を読んだ読者は記憶していられるだろう。国内の混乱時代に両親を失い、浮浪児となった主人公の少年サニカが、労働教育所の共同生活の訓練の間で、どのように人間としての愛を知り、技術を身につけて伸びて行くかという過程が、全巻を圧する簡明な美しさで描かれていた。そこには、ジャンの祖父、レフ・トルストイがぬけ出ることの出来なかった迷路にふみ入りながら執拗に求めていた人間性の明るさ、単純さ、健全な目的、希望等が、新たな社会的
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