合わせ鏡を、現在オリガ・クニッペルはどんな心持で手にとるだろうか。私はまだクニッペルを見ない。彼女は昨今主としてチェホフの短篇の朗読者としてモスクワに暮している。彼女はピリニャークの家で酔って噪いだ。日本の作家がそれを見て幻滅した。然し私は知らない。自分で見ないうちは知らない。彼女がどんな彼女であるか。チェホフは人間の見えない三文文士ではなかった。
私を忘れないでお呉れ、もっと度々私に手紙をおくれ。私のことを思ってお呉れ。どんなことが起ろうとも、たとえお前が不意にお婆さんに変ろうとも、私は矢張りお前を愛すであろう。――お前のたましいと性質のために。――私の仔犬よ! 健康を大切におし。病気になったら――そんなことの無いように――すべてを打っちゃってヤルタへおいで、私はここでお前の看護をする。疲れないでお呉れ、子供よ。
恐らく一九二八年は、クニッペルの上に重いであろう。ヤルタは彼女の手にある合わせ鏡の裡に遺る名だ。人生は絶えず前方へ! すべてに拘らず、前方へ![#地付き]〔一九二八年六月〕
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発
前へ
次へ
全17ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング