道伴れは、彼女の肩をふってビラの前へ戻って行った。
「本当に――そうだ」
「何処?――大劇場……芸術座《ムハト》じゃあないのね、どうしてだろう」
「これは、特別興行だな。ホラ、たった一日だけ演《や》るんだもの、一時に大勢に観せてしまおうというわけなんだろ」
こんな問答をしている二人の日本女を、皮帽をかぶった少年が傍に立って好奇心を面に表し、眺めている。
私共は芝居広場へ行って見た。我々は久しい前から、このビラの出るのを待っていた。今年のシーズンにチェホフの作は一つも上演されなかった。或る人は、いつか「叔父ワーニャ」を、芸術座で演る筈だと云う。或る人は、いやそれはしないが、桜の園は確定したそうだと云う。私共は何時、何処で、チェホフの何が観られるものか、全然知ることができなかったのであった。
切符売場には、既に幾条も前売切符を買うための人列がうねくっていた。切符はどちらかといえばたかい。二月十三日は私の誕生日なので、私の道伴れは奮発して平土間の第八列目を買った。
上靴《ガローシ》の中で足が痛いほど寒かった。街はますます白く、ますます平べったかった。モスクワ労働新聞社の高い窓の一つに
前へ
次へ
全17ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング