れている。それによると、ケーテ・コルヴィッツは一九三五年、ナチスへの入党をこばんだために、ヒトラー政府から画家として制作することを禁じられた。当時ケーテは六十八歳になっていた。彼女から制作と生活とを奪ったナチス・ドイツが無条件降伏したのは一九四五年五月であり、ケーテは、人類史が記念するこのナチス崩壊の日を目撃してから二ヵ月めの一九四五年七月に、ドレスデンで七十八歳の生涯を終った。
 ナチスの迫害のうちにすごした晩年の十年間が、ケーテにとってどのような時々刻々であったかということは、およそ想像される。それでも彼女はくずおれず、しっかりと目をあいて恐ろしい老齢の期節をほこりたかく生きとおした。ナチスの降服した年の五月、ケーテは、どんな思いにもえて、ドレスデンの新緑を眺めただろう。
 ケーテ・コルヴィッツの死がつたえられるとニューヨークのセント・エチェンヌ画廊で、ケーテの追悼展覧会が開かれた。そこでケーテの未発表の木版画(一九三四―三五年のもの)や「五十七歳の自画像」(一九三四年作)旧作「机の上にねむる」などが陳列された。ケーテ・コルヴィッツの画業が、ナチスのものでありえなかったということは、とりもなおさず、彼女の生涯と芸術が戦争に反対し、人民の窮乏に反対する世界のすべての人々の宝であることを証明したのであった。
 新海氏の伝記の冒頭に晩年のケーテ・コルヴィッツの写真がのせられている。レムブラントの晩年の自画像や老年のゴヤの自画像などは、それぞれの人間像としてわたしたちにつよい感銘を与えるものである。しかし、ケーテのこの写真は、前の二つのどの自画像ともちがっている。暗い帝国主義の歴史が生活の重量となってずっしりと彼女をとりまき、のしかかっているまんなかにいて前方を見ながらテーブルの上に腕をくんでいるケーテの白髪の顔の上には、底知れないねばりと、失われることのない落ついたほこりがただよっている。



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「アトリエ」
   1941(昭和16)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング