ィングをかぶったもう一人の青年とが、或る日その屋上へ出て来て愉快そうに談笑しながら、小さいカメラを出して互に互の写真をとりあっている。こっちの窓から其光景を遠く眺めやっている私の胸に、抑えがたい欣びがあるのであった。
ピオニェールたちの間にも段々写真が普及しはじめた頃、私はかえって来たのであった。
この間うち新聞社の主催で大々的に行われたカメラ祭というものは、未曾有の催しであった。下岡蓮杖の功績が新しく人々の科学常識の間にとりいれられたのは結構であったし、カメラを愛好する若い人々にとって、ターキーの舞台姿のポーズをとられたのも、鎌倉の波うちぎわで舞う女の躍動をうつせたのも、楽しいことの一つであったにちがいない。
私はヴォルフの写真帖などを一つ二つ知っているだけであるが、カメラの美しさについては無関心ではないのである。軍需工場に働いている青年労働者は、昨今、景気のいい方の組で、かなりの金が手に入る。金はあるが、つかい道に困る。急に金は持ったが、これまでの文化はそういう若者の日常生活にとざされていたので、所謂気の利いたつかい道が見当つかず、女遊びをすると云ってもやはりこれまでの工場の
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