雑誌が買わなくなれば今度は他の雑誌へ問い合わせて買う約束が纏まればやはり書きもするが、どこでも買わないとなるとその人は執筆の方の為事《しごと》はやめてしまいます。そういう人の方が多いようです。そこへ行くと、日本人にはその作品がなっていようがいまいが、他人が買おうが買うまいがそんなことはおかまいなしに、ただ書かずにいられないから書くという心持からその為事に没頭する気質が強いように考えられます。
 今私が言おうとする青年の同人雑誌にしても、彼方ではそういう風船玉みたいな気軽い陽気さで、つまり口笛を吹けば皆んなが集って一緒に騒ぐというようなところが本質的なものとなって、やっているのです。強《あなが》ちそれが悪いともいえませんけれども、文学というものを、一般が単純に「趣味」という範囲に限られた心持で考えているということは、申されましょう。
 私のいたニューヨークに、昔オランダ人が上陸した当時から開かれたガリーンウィッチ・ビレージと云う街があります。そこは芸術家の多く住む気取った一区画として知られていますが、そこの若い人々が出している『プレー・ボーイ』という同人雑誌などは、あちらの新らしい、先へ
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