も沢山あります。併し、その根本になっている心持なり態度なりが此方のものとは大変に異っているように見えます。それは一面たしかに国民性から出ているものです。
彼方では一般が商取引風《コムマーシャール》になっているように、やはり文筆を執りつつあるものの間にも、それがあります。作品として出来上がった結果のよしあしは別として、日本などとは丁度反対で、名人気質の人がどうも少ないようです。
この私の見方は丁度、三人の按摩さんが各自思い思いに象のからだの一部を摩《さす》って見て、
「象という獣は鼻のような形のものだ。」
「いやそうじゃない、尻尾のようなものだ。」
「いや、足のようなものだ。」
と言い合っているような類いで、その見る人によっては全く異ったものに感ずるでしょうけれども、とにかく、私はそういう風に感じ、観、また考えても参りました。
とにかく、米国人は一般からコムマーシャールの方を多く持ち、日本人は名人気質の方を持っているように私には思われました。そして、米国では日本なぞよりも執筆者が数からいっても割合からいっても遙に多いが、その執筆者も或る雑誌が買ってくれているから書いているので、その
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