げた。
佳一は、甘えて何かいう楓の声をうしろにきき、足早に門を出た。往来を、今度はゆっくり江戸川の方へあるき初めたが、榎の家から遠のけば遠のくほど、彼の胸に漠然とした面白さが湧いた。絹子を、彼は決して恋していなかったし、美しい人とも思っていなかった。先方も種々な点から信用して内輪話もするのであることを、理解していた。彼となら、万一活動見物が知れたとしても、
「でもあなた、佳一さんよ」
と絹子がいえば、少くとも一度は、榎も黙認しなければならないであろう。用心深く、そこまで絹子が考えた結果にしろ、そうでないにしろ、佳一の興味に違いはなかった。妹の順子の友達たちでは、その家の玄関に送り込むまで全部佳一の責任であった。それと違って、立派な大人なよその夫人が、自身に全部責任を負って、彼と楽しもうというのは、何と愉快なことであろう! 若しステッキを持っていたら何となく、一ふり、日没の町に向ってふっただろう軽やかな張合いある心持であった。
佳一は、品よい頬を元気な歩行と幾分の亢奮とで薄く赤らめながら、出入りのラジオ屋の店へ向ってあるいた。
底本:「宮本百合子全集 第四巻」新日本出版社
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