鎖され、農村で働き手がなくなって、パンが欠乏し、全く窮乏のドン底に陥っているのに、搾取者どもは、猶も愛国主義をふり立てて、労働者農民を大砲毒ガスの餌じきに送ろうとする。働く妻、働く母、働く娘は蹶起してその収奪に抗争したのであった。
 十月革命は大衆の真の要求を代表し、レーニンを指導者とするボルシェヴィキ(ロシア共産党)を支持する大衆の力で行われ、プロレタリア・農民の国家が建設された。働く婦人は初めて、その働きにふさわしい価うちで堂々と新しい社会を建てるために直接政治にも参加し得るようになった。
 ソヴェト同盟において初めて七時間労働制。同一労働に対して男女同額の賃銀、産前産後四ヵ月の月給つき休暇、無料産院と、工場に托児所。国庫全額負担による小学校教育等が実現されたのである。十八歳になれば男も女も選挙権を持つようになった。
 レーニンが革命後間もなくモスクワの婦人労働者会議の席上で「古い、不正な、婦人労働者にとって堪え難い法律を、ソヴェト政府は、その最も下の土台石に至るまで根本的に改造した」と演説したことは全く正しく、而も、革命後十五年目の今日、第一次五ヵ年計画の終ろうとする今日では、それが日常の生活によって証拠だてられているのである。
 先ず賃銀は一九二八年に比べると六割ばかり一般的に上っている。(ソヴェト同盟以外のブルジョア地主の国家では、反対に賃銀は二九年の恐慌以来殆ど半額に低下している。しかも婦人労働者はその半分の賃銀で一層搾られている)
 失業者は一人もいなくなった。(日本には三百万人を越える失業者が飢えている。欠食児童は二十万人だ。他の国とともに資本主義国全体では四千万人以上の失業者が仕事とパンをよこせと闘っている)
 農村も五ヵ年計画で集団化されてから、耕作面もひろがり、一人当りの収入も増した。一九二八年から見ると倍額になって、一人当り二百三十四ルーブリ(一ルーブル一円)から二百五十ルーブリである。集団農場にはラジオをただできけるクラブ、托児所、共同食堂等があり、図書室があり、農村婦人の朝夕は人間らしい楽しいものになって来た。
 農民、工場に働く男女労働者のためには、昔の宮殿、ブルジョアの別荘がみんな今は「休みの家」或は「療養所」となっている。
 この頃では、モスクワの停留場でさえ、母子休憩室がつくられ、特別母と子のための便利を考えて食堂までついているそ
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