ある。むずかしい顔をしたゴーリキイ、室の入口にのろまな顔をしてピストルを下げ突っ立っている番兵の写真も今となれば面白い一つのエピソードだ。
 大きい三つの室を通して一九一七年の二月革命から遂にボリシェヴィキが勝利し、ソヴェト権力を確立したところまでの、写真、記録、表などが飾られている。
 刻々切迫する情勢につれて、後から後からと出されたケレンスキー内閣の号外、指令、それに対して一層実践的な批判的な布告で大衆を革命へまで指導して行った共産党の印刷物、十数年後の今日でも吾々の心をヒッ掴んで鼓舞する力をもっている。ケレンスキー内閣はダラ幹党の本性として「土地を農民へ!」「生産をプロレタリアートの手に!」と口では叫んだが、政権はブルジョアに握らせて置こうとする、ケレンスキー内閣がそういうスローガンを実行する筈はない。

 ボリシェヴィキは火花のような言葉でそれをあばき大衆の熱望をとらえている。

 戦艦オーロラーが、冬宮を砲撃した時の写真、軍事革命委員会の本部があった、スモーリヌイの大きな写真を見ると、われ知らず、喜びの叫びが口をついてあふれる。一人のちいちゃい子供が、一生懸命に伸び上って、「
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