アリズムの問題がすぐ思い浮ぶからであった。リアリズムへの疑問というようなものは、これまでの文学の歴史のなかでも様々な時代に様々な社会層の心情の反映として表明されて来ていると思う。今日もやはり一部にはリアリズムへの反撥が存在していて、その原因は社会的にも心理的にも単純ではないと思える。リアリズムにあき足らず思う感情の根には、いつも、現実をそのまま写したって、という不満が強く蠢《うごめ》いている。それに対してリアリズムを芸術の正道と信じている人々は、何も写実が今日のリアリズムではないと迄は云うけれど、では、どういうのが目ざされているリアリズムかというと、それを短くはっきり定義づけることには困難が感じられているようだ。
 リアリズムが、目に訴える人間のいろんな心と体との動きを外側から追ってついて行って片はじから、本当のように[#「本当のように」に傍点]描くばかりのものではなくて、同じ今日という社会の息を吸いながら、Aはそれをどう吸収し、Bはそれからどんな作用をうけ又作用を与えているかという、その社会生活と個人との間にある有機的な性格にふれて描こうとするものだという点では、植物の分類法の上に行
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