産後一週間で退院するのが原則になっている。ここではこんなにいい条件で扱われた赤坊が、では退院したらどうなるだろう?
 その心配は、またちゃんと別な方法で充される。事務室の一部に、カード室がある。ゾックリ帖簿が整理されてる。ブルジョア国で、これだけ素敵な設備のある産院だったら、そんな帖簿はきっと金持の夫人達の名と多額な入院料を記入した産院利潤帖だろうが、モスクワではそうではない。
 一々、産婦の住所、年齢、職業、一般健康状態、姙娠中の状態、出産当時の条件、及生れた赤坊の発育状態、注意事項が書きこまれている。
 無事に一週間経って退院となると、この帖簿のなかみ[#「なかみ」に傍点]がカードに書かれ、母子の後を追って、住んでいる町の母子健康相談所か嬰児健康相談所かにまわされる。そこから必要に応じて医者も派遣される。無料で健康相談にのって貰え、事情によっては小児科病院へも入れるように計らって呉れる。牛乳配給所との連絡もある。一リットル二十三哥ぐらいで、赤坊の体に必要な処方で調製された牛乳が貰えるのだ。
「クララ・ツェトキンの名による産院」には、こういう設備で百五十人分の寝台がある。
「われわれのところはなかなか繁昌ですよ。一日に十五人から十八人ぐらい産婦さんが来ます」
「――一体、今モスクワに、この位の産院はいくつあるんでしょう?」
「三十ヵ所近くあるでしょうね。だが、五ヵ年計画では、更に全国的に産院、健康相談所、托児所、病院の数をふやすことを実現中です」
 そうだ。五ヵ年計画で、ソヴェト同盟はプロレタリアートの文化建設費中保健のために三億八百万|留《ルーブリ》の支出を決めていることは自分も知っている。
 これを、資本主義経済の行きづまりで、予算削減。削減。小学校教師の月給さえ満足には払えなくなって来ている日本の有様と比べて見ろ。
 ブルジョア都市東京は人口二百二十一万八千余だ。婦人勤労者は、ごく狭い範囲の例外をのぞいて実際の苦痛から職をやめるか、さもなければクビになる。ソヴェト同盟の労働法が、姙娠五ヵ月以上の婦人労働者、生後十ヵ月以内の赤坊をもつ婦人労働者を、殆ど絶対に解雇することを禁じている安心さと、何という相違だろう!
 若い医員は、先へ立ってドンドン半地下室へ降りて行った。さっぱりしたコンクリートの、隅々まで整頓された炊事場。洗濯所。一週間入院中は面会はさせない。ただ家から果物やジャムなんかを持って来ることは随意というわけで、入院産婦への見舞受付口には亭主らしい数人の男と七八人の籠を腕にかけた女連が立っている。
 炊事場の取締りをやっている肥った小母さんが自分を見て、
「どうです? われわれの産院は?」
 それから満足そうに笑いながらつけ足した。
「御馳走を一つたべて見ませんか?」
 コンクリートの廊下を戻って来ると、一つの室のドアが開けっぱなしになっている。窓から射す明るみの中でパッと赤い布をかけたテーブルが浮立っている。
「ああ、これがここに働くもののクラブです」
 本棚がある。小説類、レーニン論文集、生理医学等の本がギッシリつまっている。
「すべての勤労者に知識と健康とを!」
 絵入りの手書壁新聞が貼られている。幾列も並んでいる長い卓子の一隅で、若い看護婦が帳面に何か書いている。われわれが入って行った時、一寸頭をあげて見たきり、邪魔されず、落付いて書きつづけている。――
「クララ・ツェトキンの名による産院」の表口を出て、今度は電車にのらず自分は一種の亢奮を感じながら暮がたの街を歩いた。
 この産院の一つでもいい。ブルジョア社会の中で無限な生活の苦痛と闘っているプロレタリアの女に見せたい。彼女が女なら理解せずにはいられないんだ。何が真に彼女たちを解放するか。解放とは、日常生活をどこまでその現実で変え得るものであるかを![#地付き]〔一九三一年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「婦人画報」
   1931(昭和6)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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