につつまれているが、文学批評は古くない。ただYにとっていくらかの困難がある。というのは、すべて文学批評の本が、小説とは違ういやに読みにくい活字で印刷されている通り、講壇の上においても、ペレウェルゼフの言葉は、Yの聴覚と調和しがたい。それでもYは、日本からの黒いおかっぱ[#「おかっぱ」に傍点]を、やっぱりごみだらけの講堂にあらわす。そして十九世紀のロシアにおける貴族文学、中流文学、民衆の文学について話されているはずのものを聴くであろう。
私は、その間ホテルの室にいる。貴重な独りの時間を貪慾に利用しようとする。
それから、ロシア語初等会話を、B夫人についてやる。――
モスクワにきて私の深く感じたことが一つある。それは、現代のСССР《エスエスエスエル》が外国人の旅行者に対して、どんな行届いた観光《サイト・シーイング》の案内役を設けているかということだ。モスクワの停車場へ下りる。午後三時迄の時間であったら、彼はタクシーをやとい、まっすぐ、マーラヤ・ニキーツカヤ通りの対外文化連絡協会《ヴオクス》へ行けばよい。もとは金持の商人の邸宅であったその建物の、下の広間の、隅の事務机に向って歩け。そ
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