い。私が初めて「コサック」を読んだ頃から、「二十六人と一人」を読んだ時分から、私の心に生じていたロシアに対する興味と愛とは、十二月のある夜、つららの下った列車から出て、照明の暗い、橇と馬との影が自動車のガラスをかすめるモスクワの街に入った最初の三分間に、私の方向を決めた。できるだけ早く自分の英語を棄ててしまいたくなったのだ。
私は、いそいではどこもみまい。私は、私の前後左右に生きるものの話している言葉で話そう。そして、徐々に、徐々に――私はわが愛するものの生活の本体まで接近しよう。
二月の夜八時、芸術座の手前の食堂《ストロー※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ヤ》からある印象を抱いて出て来る。変に淋しい家であった。そこには、たった一人、ピストルを今鳴らされたばかりみたいなポーランド爺がいて、背広で、給仕した。帰る時、その家の猫がYの手袋をくわえてテーブルの下へ逃げ込んだ。
トゥウェルスカヤ通りへ出ると、街全面がけむたいようで、次第にそれが濃くなって来た。霧《トマーン》。霧《トマーン》。
霧《トマーン》は、天候の変る先ぶれのラッパだ。翌日街へ出て見たら、すべての橇馬の体
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