モラトリアム質疑
宮本百合子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ、横書き]
−−
噂の方が先に来ていたモラトリアムが遂に始った。発表後第一日である昨日の新聞紙にはモラトリアム案内の記事が満載された。月給現金最高五〇〇円、一ヵ月に預金払戻し世帯主三〇〇円と家族一人増す毎に一〇〇円、今までよりずっと暮しは楽になると、次のような式が示された。
[#ここから2字下げ、横書き]
手持現金旧券+(新円100円×家族人数)+500円以内の給料+300円+(100円×X)
[#ここで字下げ、横書き終わり]
ところで、このはっきりとした式をしげしげと眺めているうちに、私たちの心には、いくつかの疑問がわいて来た。
現金で支払われる月給はひとし並最高五百円まで。残額はいくらあろうとも全部封鎖預金にくり込まれる。つい先頃公表された、最低賃銀男子四五〇円という額を思い合わせてみると、この最高五〇〇円は要するに最低であることが明瞭となる。その上、最低四五〇円とされたことは、まだまだ一般俸給生活者がそれだけの給料をとっていないという事実を示していることである。最高現金で五〇〇円という指示は、最低を現金で四五〇円厳守と規定した上でのことなのだろうか。その点について、政府は一言の説明をも加えていない。現金八〇〇円といっている人々が五〇〇円になっては困ると思うよりも、三五〇円しか現在貰っていない人が最高五〇〇円をもう既定の標準のようにして式が立てられているのを見たとき、どんな気持がしたでしょう。
払出額、世帯主月三百円、一人ます毎に一〇〇円ずつ増加というのを読んで、ふと、どこからかそれだけの金が支払われでもしそうな錯覚を起したものは唯の一人もなかっただろうか。一人当り一〇〇円ずつ引出せば、家内何人でもやって行けるというのは、多額の預金をもつ人々だけの安心である。今日の社会は、もう去年の秋と異って来ている。モラトリアムをしかなければならないということは、とりも直さず、日本全国の正直な人民生計は赤字の破局で、貯金も使い果した危機を語っている。だからこそ、モラトリアムではなかろうか。そうだとすれば、どこの家の家計簿も、やすやすと世帯主三〇〇円、一人ます毎の一〇〇円也の預金引出しを算出しかねるわけである。この
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング