問題のこれほどの切迫をよそに、政権争いをつづけ、私たちにあいそをつかさせている。けれども、日本の民主の夜明けが来ていることも事実である。その証拠には、初めてメーデーが公然と、働く人民の行進の日として認められるようになった。メーデーの行進が遮るものもなく日本の街々に溢れ、働くものの歌の声と跫足とが街々にとどろくということは、とりも直さず、これら行進する幾十万の勤労男女がそれをしんから希望し、理解し実行するなら、保守の力はしりぞけられ、日本もやがては働く人民の幸福ある国となる、その端緒は開かれたということではないだろうか。今度の第十七回メーデーはそれが只十一年ぶりの行事だという以上に、わたし達の心を高鳴らせるつよい理由があるのである。
 のびのびとラジオから流れるメーデーの歌のメロディーをきいていると、わたしの目の前には、十余年前のメーデーの日の光景がまざまざと浮んで来た。
 その年の五月一日は割合曇って、風の寒いような日であった。私たちは江戸橋のそばに佇んで、昭和通りを上野公園に向って行進して来るメーデーの行列を迎えた。行進して来る組合の人々は互にぎっちり腕を組み合って、組合旗を守り、元
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