識で装った敵を破るだけに力強い真の民衆としての世界観をも未だ確立させていなかった。レーニンがゴーリキイに、噛んでふくめるようにその誤りを説いている書翰集は、今日に於ける尊い遺産として忘られぬ価値をもっているのである。
 こういう興味あり且つ重大な動揺を、生涯にゴーリキイは一度ならず経験している。一九一六年にロシアの警保局が莫大な金をつかって『ロシアの意志』という、殆ど革命的な新聞を発刊し、アンドレーエフや、ブーニン、クープリン、ソログープなどを動員したことがあった。その時、極く少数の作家がそれへの参加を拒絶したのであったが、ゴーリキイも自分の文筆の意味を全く正しく評価し、当時としては格外に高い原稿料を払ってその作をのせるという誘惑的な申出に勝った。
 この場合、ゴーリキイが作家の価値及び一般急進的インテリゲンツィアの任務に加えた評価は、褒むべきであったが、彼のその気持は一九一七年の一大画期に於て、再びレーニンと対立するような結果を導き出した。
 ゴーリキイは、「十月」の震撼的高揚の後にも「大衆の理解力は依然として外からの指導を必要とする力として残るであろう」としか考えられなかった。過去百年の間にロシアのインテリゲンツィアがなした準備、「彼等が労働者の心に社会的ヒロイズムと教養とを与えたから」こそ今、「十月」を招来せしめたと見るゴーリキイには、レーニンが、インテリゲンツィアを新社会の指導力の中心に置かぬことを理解しかねたのであった。彼がこの点について、自身の判断が誤っていたことを実感をもって理解したのは、おそらく一九二八年、ゴーリキイが五年ぶりでソヴェト同盟にかえって来た時ではなかったろうか。その晩年に於て彼が「過去に於て勤労階級の有能な才能は実にしばしば彼らを低く止めて置くところの力に奉仕させられた」と実感をこめて云っている短い言葉の中には、卓抜な人間的・文学的才能にめぐまれつつ民衆の一人として経て来なければならなかったゴーリキイの、すべての時代的な真価と誤りとが率直に含蓄されていると思う。
 マクシム・ゴーリキイは「錯雑した歴史の事件の中に自分自らを見出し、そして全人類的なもの、善なるものを創造しつつある意志に自分の意志を沿わせ、人生の意義をその中にふくむ偉大な創造に障害を与える意志に対立すること」が、作家にとって一番大切なことであることを身をもって示した作家であった。マクシム・ゴーリキイは歴史の正しい進展のために文学の仕事をもって献身し、その歴史の輝やかしい達成のうちに彼自らをも成り成らした。歴史性と才能との関係について稀有な典型を示しつつ彼の六十八年の生涯を終ったのである。[#地付き]〔一九三六年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「改造」
   1936(昭和11)年8月臨時特大号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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