は、気持よい程生活とかけ離れていた。そして、生活の方は益々辛くなって行った。」スムールイは、どこか普通の子とちがうゴーリキイを愛し、時々無駄に過ぎてゆく自分の一生に腹を立てたように怒鳴った。
「そうだ、お前にゃ智慧があるんだ、こんなところは出て暮せ!」
 然し――何処へ?
 愈々深く大きくなる「何故」という疑問、社会の矛盾に対する苦悩が、ついにマクシム・ゴーリキイを古いニージュニの場末町から押し出した。ゴーリキイは、カザンへ出た。彼はカザンで大学へ入ろうと決心したのであった。ニージュニで知り合った彼より四つ年上の中学生が美しい長髪をふりながら彼のその計画を励ました。
「君は生れつき科学に奉仕するために作られているんだ。――大学はまさに君のような若者を必要としているのだ。」
 ところが、カザンに到着して三日経つと、ゴーリキイは、自分が大学なんぞへ来るよりはペルシャへでも行った方が、もう少しは気が利いていただろうということを知った。彼独特な「私の大学」時代がはじまった。ゴーリキイは、その時代のことをこう書いている。「飢えないために、私はヴォルガへ、波止場へと出かけて行った。そこで一五、二〇カペイキ稼ぐことは容易であった。」と。
 これらの波止場人足や浮浪人、泥棒、けいず買い等の仲間の生活は、これまで若いゴーリキイがこき使われて来た小商人、下級勤人などのこせついた町人根性の日暮しとまるでちがった刻み目の深さ、荒々しさの気分をもってゴーリキイを魅した。彼等が、極端な無一物でありながら、貧と悲しみの境遇の中で自分たちの何にも拘束されない生きかたを愛していること、この人生に対して露骨な辛辣さを抱いていること、それらがゴーリキイの好奇心と同情をひき起したのであった。ゴーリキイは、この群のうちにあって「日毎に多くの鋭い、焼くような印象に満たされ」「彼等の辛辣な環境に沈潜して見ようという希望を呼び醒され」た。けれども、屑拾い小僧であり、板片のかっぱらいであった小さいゴーリキイを、かっぱらいの徒党のうちへつなぎきりにしなかった彼の天質の健全な力が、この場合にも一つの新しい疑問の形をとってその働きを現わした。これらの連中は、いつ、何を話してもとどのつまりは「何々であった[#「あった」に傍点]」「こうだった[#「だった」に傍点]」「ああだった[#「だった」に傍点]」と万事を過去の言葉でだけ
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