話す、その事実にゴーリキイの観察と疑惑がひきつけられた。この彼等の意味深い特性の発見は次第にゴーリキイの心に或る恐怖を感じさせた。ゴーリキイの若い精神は、社会の汚辱と矛盾に苦しめば苦しむ程激しくよりよい人生の可能を求めた。彼は未来を、これからを、よりましな「何ものかであろう[#「あろう」に傍点]」ところの明日から目を逸すことが出来ない。ゴーリキイは彼等のように生きてしまった人々の一人ではなかった。ゴーリキイは生きつつある者、しかも熱烈に生きんとしているものの一人なのである。「このことが、彼等から私を去らしめた。」マクシム・ゴーリキイは、その自伝的な作品「私の大学」の中で活々と当時を回想している。「私は外部からの助力を待たず、幸福な機会というものにも望みをかけなかった。が、私の中には次第に意志的な執拗さが発達し、生活の条件が困難になればなる程、それだけ堅固な賢くさえある自分を感じた。私は非常に早くから人間を作るものは周囲の環境への抵抗であるということを理解した」のであった、と。
こういう心で、ゴーリキイはカザン市の貧民窟「マルソフカ」の一部屋に、大学生プレットニョフと生活しているのであった。彼の全心に「ぼんやりとした、しかし、これまで見たすべてよりももっと意義のある何物かへの欲求」を抱きつつ。
ゴーリキイとプレットニョフとは、「どん底」の一室にたった一つの寝台をもって暮していた。ゴーリキイはそこへ夜眠った。プレットニョフは、交代に昼間。貧しいこの大学生はカザンの新聞社へ夜間校正係として働き、一晩十一カペイキずつ稼いで来た。ゴーリキイに稼ぎがなかった日は、この心を痛ましめる睦しい同居者たちは四片のパンと二カペイキの茶、三カペイキの砂糖だけで一日を凌ぐことも珍しくない。ゴーリキイは波止場稼ぎをしばしばやすんだ。プレットニョフのすすめで科学にとり組む仕事をはじめた。小学教師の試験をうけるようにというのであった。
独習者の新鮮、真面目な努力で、どんなに若いゴーリキイが、この科学の克服に熱中したかということは想像される。そして、このむずかしい仕事の中でも手に負えないのが、ゴーリキイにとっては文法であったというのは面白い。彼は、幾分極りわるげに、しかし或る誇りを潜めて書いている。「私はその中に、生きた、困難な、気儘で柔軟なロシア語をどうしてもはめこむことが出来なかった。」こ
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