で本当の主人はアンドレイではなかった。カザン大学や宗教学校、獣医学校などの学生達及び「未来のロシアについての絶間ない不安の中に生活していた人々の騒がしい集り」であった。この集りの中に「神学校の学生でパンテレイモン・サトウという日本人さえいた」というのは、何と興味ある歴史の一頁であろう!
 ゴーリキイに、彼等の論争はよく分らなかった。真理らしいものは言葉の氾濫に溺れて消えた。しかし、生活を良い方へ向けようとしている人々を見、自分もその中に伍しているのだという自覚、何にもまして、彼等が解決しようとしているのが何であるかということは、ゴーリキイにとって明瞭に理解されている。ここで論じられていることが成功的に解決されることにゴーリキイ自身の個人的な問題の解決もふくまれていること、それをまざまざと感じているのであった。
 ゴーリキイが、人間生活を観る持ち前の鋭い目で、学生達とデレンコフとの関係を省察している叙述は様々の時代的な示唆や、ゴーリキイの誇高い、不屈な気質の一面を示して興味がある。ナロードニキに対するデレンコフの態度はゴーリキイのそれと同じであったが、「デレンコフに対する学生の態度は」ゴ
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